「自由」の反対語を調べると
「束縛」「窮屈」みたい
「自由」と「束縛」をどこにどう感じるのか
例えば肉体の練習において、動きにくさ「束縛」を感じるとき、それは自分次第な訳で
考え方を変えたり、思い込みを手放したり、あらゆるアプローチで練習してみて、十分な練習が出来たとき
解放されて「自由」に動けるようになる。
あの動きにくさは、今までなんだったんだろう?
それらは、誰かがわたしに押し付けてきたことでも
受け渡してきたことでもなくて
なんでか知らない固定観念で、握りしめていた「束縛」
「そんなことない、あの人が束縛してくる」の「束縛」は?
この「束縛」も自分が受け取ったら、その時から束縛生活が始まるのだとヨガは教えてくれる。
一体なんの事やら?
わたしが長いこと感じていた「束縛」から、今朝放たれたのかもしれません。
誰かに「もう束縛しないでよ!」と言ったわけでもない「あんたとは金輪際会わない」と啖呵も切っていないけれど。
今朝そう思った。マットの上で。
わたしは「束縛」されることが、好きだったのだと合点がいきました。
だって「自由」と「責任」はセットだから
「自由」が欲しけりゃ「責任」取れや
自然の法則としてね!
この「責任」を取りたくないから「自由」を必要ないと言いながら
めちゃくちゃ「自由」に!制約のないフリーな状態に!憧れていたんだな。。
ハタヨガは肉体の練習とセットで、わかりやすい。
誰にでも「自由」への道が約束されている。
ヨガしよう
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