今は亡き叔母が魂について教えてくれた話 パート2 | 日月堂日記

日月堂日記

里山にある小さなお堂の観音様のお話です。

その後 叔母は
紹介された大学病院に入院をして
手術を受ける事になりました。

本人を始め、周りは私を除いて 皆そんなに大変な
状態だとは考えてはいないので
いたって明るい入院でした。

病院側は、膵炎と説明してくれていました。

今は ガンであれば、本人が望むと望まないとに関わらず
すぐに宣告ですから、
25年前とは隔世の感がありますねぇ。

私は叔母に末期ガンである事を
教えなかったのは
良かったと、
今でも思っています。

人にはそれぞれ 異なった死生観がありますが、

叔母にとって自分の人生の終わりを
知る事はいきなり真っ暗闇の部屋に入ると
同じくらいの感覚だったでしょう。

いつも一緒にいた私には叔母の性格から見て
そうなる事が良く判りました。

残された時間を
心を絶望で一杯にして、
毎日を過ごして欲しくなかったのでした。

余命の宣告が良いかどうかは人それぞれだと
今でも思う私です。

手術が終わり、やはり取りきれるほどの
ものではなかった、との報告を聞いて
初めて 母と、末の弟の叔父に 真実を伝えました。

二人ともショックから立ち直るのにかなりの
時間がかかるだろうと思いましたが
もう、時間がないから
明るい顔をみせてあげようね!と、意見が一致して

私もやれやれ、と一安心でした。
すごく仲良し三人組だったので、
最初から教えなかったのは大正解でした。

知っていたら入院始めから母も叔父も
しょんぼり、シクシクで、
叔母の方が心配したことでしょう。

それから最後の時間を迎えるまで
不思議に
明るい病室、病人でしたから
あれはあれで良かったのだと
思っています。

私は病院に泊まっていたのですが、
2日に一度3時間ばかり自宅に戻ります。

その時に必死で観音堂にこもって祈りました。

どうか、叔母ちゃんの旅立ちが安らかでありますように、
痛みと苦痛のない毎日がおくれますように、と
観音様に心からお願いしました。

その時 ふと見上げた日月様のお顔が
とても優しく、美しく、慈愛に満ちていたのです。
長く一緒に暮らしていても、
気がつかなかったわ!
こんなに表情のあるお方だったのね ∑(゚Д゚)

と衝撃を感じて 暫くお堂で
見とれておりました。

この様に生きておられるみたいな観音様ですから

きっと、
質問に答えて下さるに違いないと思った私は
その時
日月様に、聞いてみたのです。

人間は死んだら無になるという人もいますが、
私にはそうは思えません。
人の魂は永遠だと思います。

叔母ちゃんの
肉体は間もなく無くなってしまいますが、
あの優しく、明るい叔母ちゃんの魂は
不滅だと私は思っていたいのです。
それを、確信出来る方法はあるのでしょうか?

日月様は じっと聞いて下さっているように
見えますが
私を見つめて
ただ静かに微笑んでいるばかり、、。

それから数日後、
先生から
これから痛みがかなり強くなって来ると思いますが
痛み止めは、モルヒネ系を使用いたします。

それを使うと意識の混濁が伴いますので、
使用時期はご家族の方の同意を得て決定します、
とのお話がありました。

つまり ちゃんと意思の疎通が行える最後の時期の
決定を 家族に委ねていただいた訳でした。

既にかなりの痛みが出ていたので、
痛みが極限になる前に、
痛み止めで楽にして欲しいと
本人の希望もあり、
モルヒネの使用をお願いしました。

それから毎日うつらうつらしている時間が増えましたが
一切痛みの苦痛から解放されたらしく
穏やかな眠りについている毎日でした。

ある日の事、
叔母の親しい友達Hさんがお見舞いに来てくれて
ベットを 挟んで私達は向かい合い、
両側から、そっと叔母のお腹をさすりながら
話をしていました。

既にその時には、叔母は我々とのコミニケーションは
取れない状態で、穏やかなる昏睡状態と
いう感じの時間でした。

Hさんが、その時私にこんな話をしてくれました。

「昨日ね、息子夫婦が遊びに来て帰り際に
お米をお土産に持たせてあげようとおもって、
家の中から運んで来たの。
それをいざ車に乗せようと
思ったら 袋の底が破れて 全部こぼれてしまったの!

それで、きれいな所は手で掻き集めつひろったのだけれど
かなりの量が下水に落ちて、それは拾えなかったのよ。

そんなところに、お米が落ちてるのはもったいないやら
恥ずかしいやらで、ほうきで、そっと掃いて
家の裏まで流したのよ。」

「へぇー! もったいなかったですね。」

という会話を意識のない叔母の側でしていたのでした。

その翌日の事です。
母を車に乗せて病院に向かっている時に
母が、ふと思い出した様に
昨日おかしな夢を見たのよ、と言いました。

「あのね、なんだかすごく重いコメ袋を
破いてしまって、それがザアッて地面に落ちて、
ドブにまで落ちて、ほうきで掃いているのよ。
もったい、もったいないって言いながら。」

運転しながら聞いていた私は
「何いってるの?笑
それは、昨日のHさんの話じゃないの。」

と言ってから ハッとしました。

昨日のその話は 私とHさんと叔母の三人だけしか
いない病室でした話です。

Hさんはそのまま 自宅に帰っていますし、
母との接点のないお方。

私は朝病院を出て母を迎えに行って車に乗せたばかり
ですから、当然その話はしていません。

その瞬間
ああ、叔母ちゃんだわ、、って判りました。

叔母は下宿屋さんをしていたので、
お米の確保は常に怠らない人でした。

とても、お米を大切にしていて。

当時も今も、私達は
お米を大事にする国民性ですが、

その中にあっても、本当にお米を
大切に扱っていた叔母は、
一見昏睡状態にあっても、
ちゃんとその話を聞いていて、

あぁ!何ともったいない!
誰かに話さずにはいられないほどΣ(-᷅_-᷄๑)
と思ったのでしょう。

それで、そういうアンテナのある母に
夢という方法を使って 話しに行ったのです。
既に肉体を使っての会話は不可能になって
いたので。

その話をすると、母は、
「なるほどねぇ、きよちゃん(叔母の名前)が
あんまりにも、もったいない話で 私に教えたかったんだね。」と納得していました。

病室に入って叔母ちゃんに、
私達は直ぐに話しかけましたよ。

「本当にもったいなかったねぇ!
でも、あの後Hさん、下水のお米拾って
洗って乾かして、雀にあげる餌にしたんだって」

そう言ったら、何と叔母が笑ったのです!

あぁ、みんな聞こえている、
みんな分かっている、、。

叔母の意思が
母の夢のコントロールタワーに
働きかけたのです。

それから病室では、叔母の喜びそうな話を
沢山、沢山いたしましたよ!

これで、一つ判明しました。
人間の構成は肉体と魂であるが、
肉体が使えなくても魂は
あらゆる伝達手段を持っている。
肉体の消滅イコール魂の消滅ではない、
という事を教えて頂きました。

お母さん、帰ったら観音様に私から
お礼を言ってたって
伝えて下さいね。と帰る母にお願いしました。
何で?とも聞かずに
はいよ、と言って帰る母でしたが、

話はまだまだ
続きます。
本当、魂って、すごい!という出来事が
もう一つ。
観音様と叔母ちゃん、驚きの技の連発です。



パート3に続く、であります。