下書きはいくつか用意してあるので
本日2つめの投稿でございます
これまでのお話はこちら
そんなこんなでいろいろ気にはしつつも
このブログにも書いているように
2022年前半は
私自身の脳脊髄液減少症の検査入院と治療入院があり
夫の弟のことは何も関わることができなかった
弟もそれは理解していたので
時折 夫に愚痴りに来るくらいで…
そして10月初旬のこと
この時のことを少し詳しく
この日の午前中
気の合わない障害者就労施設に通っていた弟
(責任者兼支援員とはいつもケンカが絶えなかったそうだ)
その日もそこへ仕事に行ってるはずが
うちへやってきた
夏頃から気になっていたんだけど
真っ黒に日焼けしてどんどん痩せていた弟
日焼け顔なので顔色はわからなかったが
でもなんか様子がおかしい
「腹が痛いけぇそこの内科へ行ってきた。
これ兄ちゃんに見てもろうてくれぇ。」
医師からのメモ書きを渡してきた
弟は酷くしんどそうだ
メモの内容は…今の時点では覚えていないけど
イヤな予感がしたので
会社の昼休憩の時間に夫へ連絡を入れた
そのイヤな予感は的中してしまい…
午後3時か4時頃だったと思う
夫の父から電話があった
弟が隣の市の病院へ行かされたと言う
弟が普段通院しているのは
この町では一番大きい総合病院
通院介助のヘルパーさんを頼んであるので
毎回医師の説明を家族に報告してくれる
午前中 弟がひとりで行った近所の内科じゃダメだと思ったのか
午後 自分で頼んで今度はいつもの病院へ連れて行ってもらったんだけど
その病院でも手に負えず
隣の市の病院へ連れて行ってくれたと言う
父「ワシは孫娘を迎えに行かにゃあいけんけのう。」
はぁ?
このジイサン まだ娘を職場へ送迎しようるんか!?
呆れながらも怒っても仕方ないので
「私が行くわぁ。」
「ワシが連れて行っちゃろうか?」
「何言いようるんね!
今、『娘迎えに行かにゃあいけん』言うたがね。」
「じゃけぇ、ワシがあんたを送って行ってから迎えに行こう思うて。」
「いや、ええよ。私、おとうさんの運転する車には乗りとうない!」
(母の生前から80を迎えた父には免許を返納するよう何度も話してきた)
「ほうか、それじゃあすまんが頼むわぁ。」
(相変わらず私には優しい、表面上)
夫の会社用の携帯電話へ連絡を入れて
バス電車バスを乗り継ぎ病院へ駆け付け
入院窓口で看護師さんの話を聞くと
家族の到着を待てない程の緊急事態ということで
すでに手術が始まっていた
手術室の階にある家族控室へは入れるとのことで
(時はコロナ禍真っ最中、一般病棟へは入れない)
その階に向かいエレベーターから降りたら…
そこには弟が通う施設の責任者兼支援員
通院介助のヘルパーさんと交代するため来てくれたそうだ
が・・・
弟の緊急手術と聞かされ気が動転している私に向かって
そいつが言い放ったことは
「やっぱりこがぁなことがあるけぇ
施設へ入っての方がエエ思いますいうて
お父さんとは話したんですよ。」
はぁ!?
おっさん こがぁな時に何ぬかしとるんね!!
ハラワタが煮えくり返るとはこのことか
とも思ったが
そんなことより弟のことが心配
そんなおっさんはどうでもイイので
「急なことでお世話になりました。」
大人な挨拶をして とっとと退散いただいた
そして夫が到着
家族控室で一緒に長い時間を過ごした
一部が畳になっているので
私は時々横になりながら途轍もなく長く感じた時間だった
予定の2倍以上の時間が過ぎてようやく手術終了
ふたりで医師の説明を受けた
大腸に穴が開いていて
そこから出た物が腹部に溜まり
腹膜炎を起こしていたので
人工肛門造設術を行った
もう少し遅ければ手遅れだった
人工肛門を外せるかどうかは
3ヶ月から半年くらい
経過をみなければ判断できない
ということだった
ジイサンより先に弟の葬儀をすることになっていたかも
そう思うと助かって本当に良かった
一応 父に報告すると
「もろうた薬を全部いっぺんに飲むんじゃけぇのう。
そりゃあ腹に穴も開くわぁ。」
ジイサン そんなんを放っとったんかぁ!?
夫と私をいったい何回激怒させれば気がすむんじゃ~!?
しかもまたあの支援員のおっさんと
弟を施設に入れる企てを勝手にしようるし…
いちいち怒ってもそれで自分たちがすり減るのは逆に悔しい
ので
この際 ジイサンのことは考えないことにした
弟の命が助かってホッとしたのも束の間
それからが過酷な日々だった
集中治療室に居る間は家族でひとりだけ面会が許された
この場合はもちろん兄である夫だ
コロナのせいでその”ひとり”というのは日を変えても交代できず
登録した家族”ひとり”ということになっていた
仕事から帰って毎日面会に行く夫
私は会えないけれどそれに付き合った
どんどん疲弊していく夫を
ひとりで行かせる気にはならなかったからだ
助手席で話し相手をするだけでもだいぶ違うと思ったから…
弟は徐々に回復し
希望していた地元の病院への転院が決まった
それも急遽で平日だったので私が行くことに…
バス電車バスを乗り継いで迎えに行き
帰りはタクシーを使った
(おかあさんのお金 こんなことで減ってくよ~)
元々弟が通院していて 母が亡くなった病院でもある
いろんな感情が溢れる中
待っていたのはコロナの検査に入院前検査
医師の説明 病棟看護師の説明
あれやこれやと数時間
脳脊髄液減少症を患っている体と
高次脳機能障害を患っている頭は
おもいっきり疲労困憊した
その後は当然のように
コロナ禍で誰も面会に行けず
病院代は母が残してくれたお金から支払った
そして退院が決まったのだが
弟は軽度とはいえ知的障害者
人工肛門を上手く扱えるのか
食事をきちんと管理できるのか
等々 様々な問題があるので
退院前カンファレンスに夫の代理で私が出席
皮肉なことにその場で
ジイサンのことを
よぉ~く知っている人に出会えたのだった
つ づ く