前回の記事で
違和感を案内役にして
一つひとつ手間をかけることを選んでいる
と書きました。
思えば
子どもの頃から
自分の内に芽生えた
“違和感”をどうすればいいの???
これをずーーーーーーーーーーっと
やってきています
対象が変わるだけで
今もずっと
最初の違和感は
3歳の頃
弟という存在が現れて
それまでの自分の世界が変わったこと
最も影響を与えてくれた違和感は
小学生になってから
戦争はよくない、悪いもの
原爆はあってはいけないもの
と学校で教わるようになってから
(広島なので毎夏ありました)
自分の生、存在していることの違和感
よくない、悪いものと教わる
それがあったから
自分が生れている事実と
よくない、悪いものと教わるそれらと
4,5歳の頃から自覚していた、
自分にある残酷さや冷酷さを
自分の中でどう扱えばいいのかという違和感
私のマニアックさ、変態ぶりは、
子供時代から仕込み通りです
それらの違和感を
無視しなかった(できなかった)おかげで
違和感をすぐに察知する能力と解くことを
ずっと訓練できたんですね
(子供の頃から長くもがき、今が最も生きやすい🦆)
身体はもちろん、
その人の思考の癖やその土台の意識で
詰まっているところがわかるのが
今では自然になっているけれど
それでも
今でも
やっぱり
自分の内側に起こる違和感を
無視することはできなくて
氣が澄むまで
違和感と共にいます
違和感と共にって…オモシロいですよね
言葉で表現するとこんな感じです。
思えば
違和感は案内役だなって
自分含め、
いろんな人の身体や思考に
観じるところです。
そして違和感を観じられることが肝心
私の人生の案内役は違和感でした。
とても頼もしく有難い案内役。
きっとこれからも~
そして、ただ今絶賛
出来るはずの出来ていない事の
違和感をあーだこーだ言いながら
解いている最中です
(本人、嫌だいやだと楽しんでおります)
違和感を観じる意識
違和感を感じる身体が健康
だなぁって改めて思う今日この頃