12月22日の外来
12月22日、ついに東京の病院へは最後の外来に行って参りました。
私がセカンドオピニオンで訪れたのが、2007年の12月26日ですから
ほぼ丸々2年。
あの日は病院に入ったのが午後だったけど、寒くて曇った日だった。
22日は、
天気は良し
富士山もきれい
検査結果を聞くだけだから、いつもの検査前に採血はなし。
だからゆっくりと行ける
ええ感じやな~
なんて思いながら病院へ。
相変わらず混みこみだったけど、そう待たずに呼んでもらえました。
前回のCTは異常なし。
採血も細胞診も問題なし。
よっしゃよっしゃ
無事卒業(卒院?)できる~!!!
と思ったら・・・
主治医先生の
「えっと、次はいつの予約にしますか?」
にイライラッ(`Δ´)
そりゃ患者と話したこと一々覚えててとは言わないけど、ガッカリ
私:
あの・・前回から話してますけど、
私は地元の大学病院にお世話になるということで、
先生にお世話になるのは、ひとまず今日が最終と思って来てるんですけど・・・
主治医先生:
あっ!そうでしたっけ?
もう100%あちらの病院でしたっけ?
・・・・
・・・・
そっか・・・
・・・・大丈夫ですか?
もう!!!
その話は何度もしたし、
戻ってもいいって言ったのはあんたやろ!!!
私には紹介状を書かせてくれと言いながら
「今後そちらの病院でフォローアップお願いします」
って手紙書いたの誰やねん!!
最後の最後に切れそうになっちゃった、テヘ
でも、そこはもう流しといて
聞きたかったことをいろいろ聞いてきました。
そこんとこは、最後ということもあってか
分かりやすく、きちんと答えていただけたと思います。
たいていのことは地元の先生と相談してもいいだろうし、
地元の先生から質問をいただいてもかまわないとのことでした。
ありがたい。
でも、再発の時は来てくださいとのことでした。
そんなものなんですね。
あとは、前回聞いて少し不安に感じた部分を詳しく聞いてきました。
地元では術例のないことなので、地元の先生にも東京で受けた説明を
きちんと伝えなければなりませんからね。
で、地元の先生は曖昧な話は許さないですから、
東京の先生が「こういう例も過去にありました」
と言ったことをそのまま伝えようなら
「そういった例は、だいたい何%くらいおこるのか聞いてきた?」
と突っ込まれます。
それに、地元の先生により新しく、より正確な情報を伝えることで
私の体も守られていくのだと思うと、真剣ですよ。
主治医先生は困りながら、時々にごしながらも、答えてくれてました。
大学病院て難しいのね、って、ちょっと思いました。
主治医先生とお別れをした後、少しだけ病棟を覗いてきました。
廊下には誰もおらず、シーンとしてました。
歩行訓練で頑張った通路も歩いてきました。
入院中に毎朝外を見た窓からも、
景色を見てきました。
残念だったのは
レストランでランチしたかったけど
時間がなくてできなかったこと。
ま、しょうがない。
あ、それと
病棟の様子もちょっと変わってた。
病室の入り口には
小さなお人形が置いてあって
それが目印になっていたけど
(例えばアトム君とか・・)
ぜーんぶなくなってた。
患者の手術中に家族が待ったり
患者が読めるように本が置いてあった
ところも、
本がぜーんぶなくなって
リンパ浮腫の資料ファイルだけが
数冊置いてありました。
貼紙によると
衛生上、読んだ本はすべて本人で
処分してほしいとのことでした。
私がいたころは漫画や雑誌が置いてあって
退院前は助かったのになぁ。
本棚は丁寧に、溶接までして
扉が開かないようになってました。
私が去年のクリスマスに差し入れした
本も、捨てられちゃったのでしょうね。
なんか味気ないな~
って思いました。
そこまで必要なんでしょうか?
必要なのかなぁ?
ここの病院、お茶も置いてなくて、
(食事の時だけ入れてくれる)
買いに行かなきゃならないし
水分を摂れ摂れ言われても、
水を買うのもけっこう負担でしたよ。
雑誌くらいあっても・・・って思っちゃいます。
あと、
ちょっと興味があったので
私が退院時に置いていったフェルト人形達はどうなったか
(こうなったら)ダメモトで聞いてみました。
看護師さんの勤務表を見ても、覚えてる名前が少なくて
諦めてましたけど、
やっぱりナースステーションにはもうありませんでした。
「捨てたか、誰かが持ち帰ったと思います。」
ということでした
そんな感じで、
ちょっとしょっぱさも感じた、最後の東京の病院での外来でした。
このあとは、入院中にお世話になった方のところに
挨拶に伺ったり、
私が病気になってから相談にのってもらっていた
ネコ友様に会ったりして
慌しいながらも、楽しく過ごしてきました。
ネコ友さまにはいつもいつも、励ましてもらい、元気付けてもらい、
入院前に東京に出た時も、忙しい合間をぬって
私と会ってくれたりし、
入院中にも大変お世話になりました。
22日は、きちんとお礼が言えず、
話したいことがあまり話せなかったのが心残りですが
会えて本当に嬉しかったです。
ここまで来れたのも、みんなのおかげ。
ありがとうの1日でした。
みんな、ほんまにありがとう(-^□^-)