私は、天下乃与太郎氏による秀逸な一連のブログに触発され、この私のブログ開設も氏の影響によるものだと明言している。

見る人によっては、私が氏の信者のように感じられるかも知れないが、そうではない。
私は私なりの直感や考察に従い、「これは」と思うものを実践しているだけで、ただ盲信して鵜呑みにしているわけではないのだ。

多大なる感謝はしているが、あくまでも自己責任によって行動している。



情報が氾濫するこのご時世で、一番重要なのは何が自分にとって有益かを見極め、真実を見抜く直感力を養うことだと思う。ありきたりではあるが、これを真摯に感じながら情報を取り入れるのとそうでないのとでは、全く違ってくる。


ネット上ではあらゆる事柄について日々真逆の視点から論争が生まれ、互いを非難し合うような事態が日常的に繰り返されている。
私はそういった状況を見るにつけ、そこに依然として残る自己の相対するエゴの投影を再認識する。
ホ・オポノポノを知っていれば、それに向き合うことは当たり前のことだと思う。

夢見るアセンションブロガーの皆さんに対しても、私の中での「楽をしたい」という欲望の現れだと感じている。


内観をしていると、己の闇に真っ向から向き合うこととなる。目を背けたくなるような薄汚い自分もまた自分であるので、ここで目を閉じてしまったら真の自己変容は永遠に訪れないだろう。
良い、悪い、とジャッジする意識は手放すことを決めて久しいが、ウッカリするとやっている場合がまだあるので、日々精進である。


何か(誰か)を盲信するというのは、自分を捨てるのと同義だと私は思う。
エゴとしての自我は一度破壊する必要があるかも知れないが、そういう意味ではない。
自らの直感を放棄し、内省もせず、他者に依存追随して平安を得た気分になっても何も変わらない。
いや、一時的には何らかの効果はあるかも知れない。
しかしそれは根本的な自己改革とは異なる。


この世に存在するあらゆる思想、メソッドに基き何か行動を起こす時、全ては自己責任だ。
効果がなかった、もしくは逆に状況が悪化したなどの場合には、その理由を自己の内面に見出す必要があり、その思想やメソッドを広めている存在を責めても全く意味が無い。進歩もない。

そういう態度(自己責任という意識)で臨む時、無駄な行動は何一つないと思う。
勿論、広義で捉えれば全ての人の全ての体験に無駄はないが、ここでは強い意志を持って自己の変容を目指す者としての意見を述べさせていただいている。


溢れる情報の海の中、埋没することなく一歩一歩着実に進んで行きたいと思う。