一日を振り返ることを日課にする為、どんな内容であれできる限り毎日更新したいと思う。


〇本日最大の反省点〇
ママ友さんの愚痴に同調してしまった。
→とりあえずトイレに中座した時にオポノポノ。



さて、私の育った時代は、いわゆる受験戦争最盛期?であった。
幼き頃より、何かを教えられると全て「思い出す」という感覚で、秀才として名を馳せていた。
(私はこの秀才という言葉が嫌いで大変不本意であった)

中学受験、高校受験、大学受験と受験三昧だったが、ほぼ負け知らずで難なく通過。
未だかつて誰も信じてくれたことがないが、天然で睡眠学習ができた。この話は後に詳しく書くつもりであるが、授業中はほぼ居眠り、宿題はやらないのが当たり前、予習などクソくらえ、家でも机に向かって勉強を頑張った記憶がなく、常に母に叱られていた。
98点を叱る母であった。。
学年でトップ10は当たり前だが、1番でないことを叱られた。
ムカつくので、某有名塾の全国統一模試で1位を取ってやった。
さすがにその時だけは褒められた。。気がする(笑)

何が言いたいかというと、ここまでエリート街道を走りながら、何故か社会で成功することよりも子供を産むことのほうが優先事項だと信じていたのだ。

ごく最近になってやっとその意味がわかってきた。

そもそも社会的権威と言われるものに抵抗があり、学生時代は超エリートとして君臨しながらも反骨精神旺盛だったのだ。

では、子供を産むことの意義は?

これについてはほんの数ヶ月前まで誤解したままであった。
自分の遺伝子を汲む子供に世界を託すことが使命だという大きな勘違いをしていたのだ。

現在の私は、子供という存在が一番わかり易い自己の投影だと捉えている。
また、激しく傷ついてきたインナーチャイルドの投影でもあり、天子を慈しむことでインナーチャイルドが癒されていくのを実感する。

子は親の鏡、という一般論はさておき、実際これ以上ダイレクトに、ピュアに自己を映し出してくれる存在はない。
これこそが子供を持つことの最大の意義であると言っても過言ではない。
少なくとも現時点の私にとってはそういうことなのだ。

母という存在が子供を自己と同一視(言い換えれば所有物のような感覚)する現象がよく見られるが、それとは完全に別の意識である。



つづく。