冬という季節でさえ加齢と共に変化する。上下にハイテク下着、その上に重ね着してダウンを羽織れば外気に触れてる部分以外は寒気とは無縁だ。
外を出歩くのもさほど苦では無いし、なんだったら使い捨てカイロでも貼っ付ければ汗をかきかねない。幼い時分、半ズボンに傷だらけの膝小僧をさらけ出してた冬という季節は遠く置き去りにしたらしい。
クリスマス、というイベントに対する気分も当然変化する。年末年始もしかり、その後のバレンタインデーとかなんだとか、かんだとか言ってるウチにすっかり桜を待ち望む季節がやって来る。
まぁ既に色々?様々?なイベント事は通過するだけが恒例であり、凡そ何かを期待していたりはしない。何事もあり得なくても、何かしらの期待感を膨らませられたのが懐かしいような、恥ずかしいような。誰にもサトラレなくても黒歴史とはよく言ったモノか。
面倒な話は避けるが如何に枯れるかが人生と、悟った気分に陥ったのが幾つぐらいだったろうか?アレから干支が一周以上はしているはずである。
最近どうやらこのままでは上手く枯れて朽ちる事が出来ないと再び悟ったようである。生木は上手く燃えないのであるのかも知れないし、しっとり滲む程の何かをまだまだ持ち合わせているのかも知れない。しかし燃え盛って灰燼に帰するには既に遅い。
いやさ、結局は未だ深淵たる外縁をただトボトボと堂々めぐりしているだけでしかないと思うのだが。駄菓子菓子。
本質では変化を嫌う、のである。変化を好まないが、絶えず何かしらを求める不合理さとが持ち前の合理主義と相反する訳で自分が虚ろう大きな理由の一つである。
自身変化を嫌うとのたまう割には、傍目からは変幻自在に見えている可能性は否めない。その辺りは多少自演の感が無くはないが、単に対処と適応というワードで括る事が出来る。望んで変化した訳ではなく、必要に駆られて変化せざるを得なかったというだけの事か。
不惑、とは大陸の先生はよく言ったモノとひとしきり感心したりもするのであるが、残念ながら大きく戸惑って過ごした一年であり、なんら事を運べず、解決も出来ないまま無為に過ぎ去った、というか過ごしてしまったのではないかと考える年末になってしまった。
不惑とは程遠い不覚、である。
まぁ不覚なのはいつもの事な気もするが、一年を省みて今ほど不甲斐なく、頼りなく、つまらん奴だったと評するのは初めてのような気がする。まぁワザワザ一年を仰々しく振り返るようなタマでは無いので、省みるという考え事態が不測なのである。
さてコレが現実を直視出来るようになって成長したね!なのか、ただひたすらに心が折れた!なのか、この先を望むべく自らに変化を招く礎になるのか。はたまたやはり無為に過ごして来年末にもグダグダ物思いに耽るのか。
故事にちなむなら、と書きかけてやめておくが新年には未だかつて抱いた事のない抱負という逸物を掲げてみる事にしたい。いや、掲げはしないが胸に秘めてみようか。
ああ、黒歴史はこうして作られるのだなぁ…
と言う事で年末のご挨拶に代えさせて頂きます。皆様、体調管理には留意してお風邪など召しませぬよう、どうか良いお年をお迎えください。