❴ 意思とジェンダー ❵ 江原由美子
これも大変勉強になった。
自由とは何か。
そもそも意思とは何か。
昨今のフェミニズム運動には強い違和感を覚えている。
こうした理性的な論点から再考したいと思う。
(ここからは別の話)
弁護士になりたいと言った17才の私に、全共闘運動に没頭して25才でやっと大学を卒業したばかりの社会科教諭は、気まずそうに申し訳なさそうにこう言った。
「今からじゃ無理だな」
低偏差値の高校だったから無理もない。
しかし思春期の私に、夢を持つことは恥ずかしいことなのだと屈辱とともに深く刻み込まれたのは事実だ。
けれど、本当に司法の道に進むことができていたら、私はきっと弁護士ではなく検事になっていただろう。
弱者の傲慢、弱者の身勝手、妄想的なまでの被害者意識。
それを正義と断言して他者を切りつけることに快感さえ覚える人々。
弱者という暴力。
集団化した弱者の辞書に敗北の文字はない。
10代でとある反差別運動を経験し、その後も権威権力を憎んで生きていた時代も短くはなかった。
差別は今でも許せないし、だからこそ自分の内にある差別心と闘い続けているし、
権威を嫌い権力の横暴に腹を立てるのも変わらない。
けれど。
黒人差別を利用した暴動の陰にあるもの。
フェミニストを名乗る人々の暴力的発言の醜さ。
あるいは某政党の在り方。
また人を殺してきた歴史に蓋をする某々政党の欺瞞。
ある勢力はかつて「糾弾はガス抜き」と言い放った。
私は人間を人間たらしめる理性を尊重したい。
怒りは、必要だから人間に備わっている感情だと思うし、昨日の私のように怒りをあらわにする場面もあるだろう。
だからこそ理性を取り戻したいと私は足掻く。
少なくとも被害者になりきって加害者への暴力を正当化するような理性なき人間にはなりたくない。
このブログは覚え書きのようなもので、いつか詩に昇華できることを願って記しているだけです。どうかお気になさらず(笑)