ひどく腹が減った
しかし食い物は何もない
ここでは一杯の水さえ貴重なんだ
とにかく歩き続けなければ
靴の下は砂地
四方八方見渡しても樹木一本ない
言い知れぬ恐怖
そこから逃げるためにも歩く
水を一口飲んだとき
不意にきみの声が聴こえた
“ああ…もっと強く…”
なんだ?
これが幻聴ってやつか?
きみの声はベッドではいつも粘っこく色っぽい
普段の話し声よりほんの少し低いトーンで
けれど今のおれは
そんな声など欲していない
欲しいのは食い物と
ただひたすらに「安心」だ
“あっ…もう……は、はやく…!”
疲れきったおれの全身にまとわりつくような
トーンを少し上げたきみの切迫した声
そんなものを聴いても
おれは惑わされないぞ
虚しい喘ぎを吹き消すように水を飲む
そうかきっとおれは
きみのことなんか愛しちゃいない
こんな切羽詰まった状況で
おれはきみなんかより
たった一口の飯を願っているんだ
“あうっ…そ…そんな奥まで…”
一瞬きみの姿態が浮かぶ
やめてくれ!
そんなのは見たくもない
吐き気がする
いつもはあれほど魅惑的だったのに
今は嫌悪の対象でしかない
幻聴だけでなく
いよいよ幻覚まで見えてきたのか?
厄介な砂と格闘して歩きながら
水を一口飲もうとした
ああそうか
さっきのが最後の水だったんだ…
一瞬胸に鋭い痛みが走る
“あっ…あっ…ああっ……”
“もう…もうだめ…”
“いっ…く……いくいくいく…っ!”
耐え難い激痛に悶えながら
おれは初めてきみに応えた
ああ、そうだな
一緒に逝こうか
ほら
桃源郷はすぐそこだ