天才は夭逝するという。だとすれば、32才で逝った姉も、きっと何かしらの天才だったのだろう。55才にもなって図太く生きていられる私は、間違いなく凡人だ。
姉は人望厚き人だった。とにかく安定感があった。線の細い私とは正反対だった。常に比較され、私の出来の悪さを証明する人でもあった。
二人の父にも愛された人だった。二人の父に嫌悪された私だった。小さい頃から姉にはコンプレックスと、ドライな人格への反発を感じていた。
私も子どもを持って、ようやく母親同士対等に話せるかな?というところで見事にあっけなく逝ってしまった。
その1ヵ月後に、数年ぶりに実父のところで会おう、と約束していた。実父はそれっきり、死ぬまで私には会ってくれなかった。二人目の父も、姉の葬儀で道を挟んで一言だけ言葉を交わしたきり、重度の認知症で寝たきりになるまで、会うことはなかった。
母はそんな私に、二人の父が私を嫌っている事実を告げ続けた。愛情なんか感じたこともなかった。



今日、三女がふと、こんなことを言った。
「絶対しないけど、もしもあたしがちーちゃんを虐待したりしたら、お母さんは怒るだろうけど、やっぱりそれであたしは嫌われちゃうのかなぁ…」
私は即座にこう答えた。
「そりゃちーちゃんも可哀想だとは思うよ。だけどT子もそこまで追い詰められて、可哀想にって思うよ。親をバカにするんじゃない。子どもと孫とどっちが可愛いかって迫られたら、子どもの方が責任を伴う重い可愛さだよ。自分の命より大事だよ!」
三女の表情が一瞬緩んだ気がした。



夭逝する人は、きっとその分周囲の愛情を集めているのだろう。そうでなければあまりに不公平だ。
姉もそうだった。嫁ぐ姉のために高いローンを組んで、母はかなり高額な建売り住宅を購入した。我が家が破産したのは、姉が幸せになってからだ。私がお金ばかり要求されるようになったのも、その頃からだ。



ははは…いつまで昔話をしているのだろう。私は現在を生きているのだ。
ちーちゃん母子の幸せと、長女のお腹の赤ちゃん、息子の切羽詰まった前期授業料の方がよほど重大問題だ。
泥に根を張って、どこまでいけるかわからないが、ともかく生き抜いてやろう。凡才大いにけっこう。我が子だけは幸せにしてやるんだ。










それ以外の生き方なんて知らない。