今回は、少し長くなってしまうかもしれませんが…

 

 

先週、入院していた父が亡くなりました。

 

 

ひとつ前のブログ記事に書いたのですが、

先月の半ば頃、母と弟と私の3人で

父の今後の治療方針について
病院の先生に話をしに行った時に父に会って以降、
面会に行く勇気がなかなか出ず…
 
父は、家族全員が久しぶりに集まった面会時には
元気がなかったものの、意識ははっきりしており、
とても少量だけれど口から物を食べられていると先生からお聞きしていたので、
点滴を抜くかどうかを私たち家族が決めることについて
私はずっと疑問に感じていました。
 
長年、父と全然会っておらず、
ずっとコミュニケーションをとっていなかった父の今後について
私たちが決めることにも
違和感があったのかもしれません。
 
逃げていただけかもしれませんが、
面会に行く気持ちになれませんでした。
 
そうしているうちに
新しく担当になった先生からお電話があり、
話がしたいので病院へ来て欲しいとのことだったので
母と話を聞きに行くことになりました。
(弟は熱が出ていたため、今回は母と私と2人でした)
 
病院に行く前に、心積もりとして
母に延命治療についての話をされました。
でも、私は母の話にもずっと違和感がありました。
 
母も不安なのだろうとは思うけれど、
言い方が強く、話し合いという感じではなく…
私は父の延命治療について
答えを出せなかったのですが、
「あんなに時間があったのに何で決められないの?」
「じゃああんたが介護したら」
「じゃああんたがお金を出したら」
というような感じで言われてしまい、
母と普通に会話することも辛くなっていました。
 
(私は長子なのですが、
両親とも末っ子で
二人とも典型的な末っ子気質だなと
最近考えていました。)
 
 
呼び出しがあった週から
父は緩和病棟に移動しており、
担当の先生が変わったのですが、
先生のお話は、
「厳しい状態になっていますので、加療をしていきたいが、
どうして延命治療という話になったのかお聞きしたい」という内容でした。
 
前の病院にいた時、
父は口から食べたり飲んだりできなくなってしまっていたので、
(先生からの許可がおりなかったようです)
先生から、胃ろう(胃に穴をあけて胃に直接栄養を入れる方法)
をするかどうかの話をされたのですが、
その頃の父は呼吸がとても苦しそうで、
これ以上は治療をしたくないということを先生にも訴えていたので、
私と母は、その頃の父の訴えを尊重し、
胃ろうはせず、積極的な治療もしないことになったのですが、
高カロリーの点滴がよかったのか、
次の面会の時には呼吸の状態がよくなっていて、
大きな声が出せるほど元気になっていました。
 
ただ、高カロリーの点滴はずっとできるわけではないらしく、
転院してからは、生きるための最低限の点滴だけにしていると
先生からお聞きしました。
 
そういう流れを新しい先生に説明すると、
なんとなく理解してくださったようでした。
「でも、今は、状態が悪くなっているので、
ご家族は積極的な治療を希望されていないのかもしれませんが、
私は加療をしていきたいと思っています。」とおっしゃいました。
私は正直ホッとしました。
 
延命治療についても少し話をしてくださいましたが、
胃ろうや点滴についても、
いろんなお考えの先生が
いらっしゃるんだなと知りました。
 
母は長年介護の仕事をしており、
いろんな方を介護してきたと思うので、
母の考え方もあり・・・
私の思いは全然伝わらなかったけれど、
人それぞれ考え方が違うので
それは仕方のないことなんだなとは思います。
 
先生が、前の病院での父の状況や
私たち家族の状態などについて
ひとつひとつ聞いてくださり、
私は、先生がおっしゃった治療方針や、
父への気持ちの配慮などに納得することができました。
 
 
先生とのお話の後、父と面会しましたが、
状態が悪化していました。
鼻に呼吸の管をつけていて、
また声が出なくなってしまっていました。
 
でも、私たちと話をしようと、
「あ、お」と
前の病院のリハビリでしていた発声をして、
声を出そうとしていました。
 
いつも見ているテレビを見ていなかったので、
筆談で「テレビ見ないの?」と聞くと
父は「しんぞうがおかしい」と紙に書きました。
 
私は、父に何と話しかけてよいのか分からずにいると、
父は、出にくくなった声を振り絞って
「ごめん、ごめんなさい。」と言いました。
 
普段「ごめん」と謝るような父ではなかったので
びっくりしてしまい、
その時は、首を横に振ることしかできませんでしたが、
何に対して謝ってくれたのだろうと
帰ってからもずっと考えていました。
そして、次の日にまた面会に行くつもりで眠りました。
 
夜中に目が覚めて、
いつも聞いている配信をラジオがわりに聞きながら
アメブロのアプリを開いて
少し文章を書こうとしていると、
母の部屋から電話の声が聞こえてきました。
もしかして…と思ったら
やはり、病院からの呼び出しでした。
 
病院に駆け付けた時にはもう
父は亡くなってしまっていましたが、
手に触るとまだあたたかさが残っていました。
 
看護師さんが親身になってあたたかい言葉をかけてくださって、
とてもありがたかったです。
 
先生が呼び出してくださったおかげで
亡くなる10時間ほど前に会えて、少しだけれど父と話せたのでよかったと思います。
 
 
 
父と面会した時、
帰り際に握手をしていました。
父が入院するまで
父と握手なんてしたことはなかったのですが、
前の病院の看護師さんが
「娘さん、手を握ってあげてくださいよ」と言ってくださった時があり、
それ以降、なるべく父と握手したいと思い、
握手して帰っていました。
(勇気が出なくてできない日もありましたが)
最後の握手は、力が少し弱かったけれど、
力を振り絞って握ってくれたのかもしれません。
 
 
長年、家族のことで悩み続けた人生でしたが、
父が最期、声を振り絞ってまで
「ごめんなさい」と言ってくれたことが
私の胸に響きました。
父にもいろんな思いがあり、
父なりに私を思っていてくれたのだろうと思います。
 
また、前向きに進んでいきたいと思います。
 
 
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございます。