今週は、自分の誕生日でした。


先月、父が入院し、

少し気が重くなってしまっていたので、

誕生日は、気晴らしをしようと思い

散歩がてら買い物をして

帰宅すると、

母から「病院から呼び出しがあったらしいから、今から行こう!」

と言われ、

半ば無理やりに一緒に病院に連れていかれました。


実は、その日の2日前に病院から

私の弟あてに

"お父さんが身体に大きな負担がかかる治療を

受けないといけなくなるかもしれないので説明を聞きに来て欲しい"と

連絡があったようなのですが、

弟は私たちに連絡せず、

病院へも行かず、放置していたらしく…


たまたま別件で弟に連絡した母が

そのことを知り、

私はイライラした母に無理やり病院に連れていかれた感じでした。


弟は、よくも悪くもあまり深く物事を考えないタイプなので、

先生から電話である程度説明を聞いたものの、

あまり父の状況がよく分かっていなかったのかもしれません。




病院に着いて、私たちは

先に先生のお話を聞くつもりだったのですが、

先生は、お会いするとすぐに

「説明するよりお会いになって見て頂いた方が状況が分かると思います」と言われ、

父のいる病室へ連れていかれました。

集中治療室を出た後に入る病室のようでした。


私は、父とは

お互いの誕生日に電話をするくらいで、

会うのは約6年ぶりでした。

徒歩で行ける距離に住んでいるのですが、

どうしても、父に会いに行く勇気が出ませんでした。

父を赦そうとしても、どうしても、

赦すことができませんでした。

怖さも拭えませんでした。


6年ぶりに会った父は、

2週間で20キロくらい痩せてしまったらしく、

ガリガリになってしまっていました。

持病がある高齢者にとって、

コロナは本当に恐ろしい病気だと思いました。


父は80歳を過ぎており、

体力もかなり落ちているため

手術などもできず、

今後は普通の生活はできないだろうから、

数ヶ月後に病院を変わって

その後は施設暮らしをすることになるでしょうと

先生に言われました。


父がそんな状態になってしまうのは

遠い先のことだと思っていました。


父に近づくと

父が私に気付いてくれてジーッと顔を見たけれど

言葉が出ませんでした。

小さい声で「久しぶりだね」としか

言えませんでした。


父は今回の入院で声が出なくなってしまい、

1、2年前から耳もかなり遠くなり、

更に、緑内障か白内障で目もかなり見えづらくなっていて、

私はノートに大きく文字を書いて

筆談で少しだけ会話をしました。


痩せ細って弱った父を見ると、

今までどうして会いに行ってあげなかったんだろうという気持ちもわいてきました。


離れて暮らすようになってから

約10年間、

毎年誕生日に必ず電話をくれていたのに、

私はそれをとても憂うつに感じてしまっていました。

でも、今年はかかってこなかったので、

今まで私の誕生日に電話をくれていたのは

本当はとてもありがたいことだったんだなと気付きました。


病院に置いている荷物を持って帰らなければならなかったので、

父に鍵をもらい、

病院の帰りに父の家に寄りました。


離れて暮らすようになって

半年くらい経った頃に

たまたま散歩中の父と会ったことがあり、

家に連れていってくれたのですが、

父の家に上がったのはその時以来でした。


ちょっとだけ片付けをしたのですが、

父は、この家に帰って来るつもりで入院を決めたはずなのに、

帰って来れないんだなと考えると

泣いてしまいました。


ずっと苦しかったけれど、

自分の誕生日に父に会いに行ってよかったと思います。

ずっと会いに行かなかった自分が嫌にもなったけれど、

こういう状況にならないとやっぱり会いに行くことはできなかったと思います。


誕生日以来、毎日、

父の家を片付けたり、

いろいろな手続きをしたり、

書類の整理をしたりしています。


今日は、書類の仕分けをしていたのですが、

父は、あるもののパスワードを

私の誕生日に設定してくれていて、

また泣いてしまいました。


自分は、長年、ずっと、

親に愛されていないと思って生きてきたけれど、

父なりに、母なりに、

大事にしようとしてくれていたんだろうと

ようやく腑に落ちてきました。


頭で「大事にされている」と思おうとしても、

なかなか心がついていかなくて…

でも、やっと、

心が追い付いてきたような感じです。


しばらくは、

落ち着かない日々になりそうですが、

すべてはうまくいっていると信じて、

毎日過ごしていこうと思います。



読んでくださって、

どうもありがとうございます🙇