勉強に限らず、何か目標に向かって努力する際、人は往々にして計画を立てる。

がむしゃらにやるのもありではあるが、長期的な目標については、普通どこかでガス欠を起こすし、これだけやってもまだ足りていないかもしれないという心理的ストレスも無視できない。

達成すべき目標から逆算して計画を組み、やるべきことを明確にしてから努力し始めた方が効率的なのは言うまでもない。
故に、問題になってくるのは計画の立て方である。

例えば受験勉強の場合、目標からの逆算を行うと、

志望校に合格したい。
本番で点が取れれば良い。
過去問で対策できる。
過去問を解けるレベルにないので問題集を利用する。
1ヶ月でこなす範囲を決める。
1週間でこなす範囲を決める。
1日でこなす範囲を決める。

かなり大雑把だが、概ねこういう風になるだろう。
勿論、塾や予備校に通っている場合は、そこで配られたテキストや、授業の予復習で適切なペース配分がなされるよう構成されているだろうから、それ通りにやれば良いだろう。

あくまで自習をする為に、自分で計画を立てようとした場合の話だ。

ここで、タイトルに戻る。
1日の計画を立てる上で、指針とすべきなのは量なのか、時間なのか。

量を稼ぐためには時間が伴わなければならないという理屈は正論だが、ここで言いたいのはそう言うことではない。

受験生は一日n時間以上勉強しなさいという話がある。
発言の根拠は、ライバルも平均してn時間勉強しているから。

しかし、一時間で10問解ける人と、5問解ける人では、同じ一時間の勉強でも勉強量が変わってきてしまう。
そうなると、勉強時間を指針とするのは、余り良い選択とは言えないのではないだろうか。

早とちりしないで欲しいのは、こなすべき量からかかるはずの時間を推定して、n時間で終わらせるという一種の追い込みを兼ねている場合は問題にならない。

或いは、他の受験生が勉強している分と同じだけ勉強していないと落ち着かないというなら、それも良いだろう。

問題となるのは、勉強時間にスポットをあてすぎて、だらだらと時が過ぎるのを待つような勉強になってしまう場合だ。
耐え凌ぐように勉強していては、どうしたって積極性や集中力が落ちてしまう。

故に、僕は計画を立てる際は量を基準にしている。
何分よりも、何問何単語。
数学1時間よりも、数学3問。

ペース配分が狂うほどの問題に当たった際は、飛ばして翌日に持ち越し、その日のノルマを2問に変更するなどして対応する。

心理的にも、n時間勉強してくださいと、n問解いてくださいでは、明確なゴールがある分、後者の方がやる気を出しやすいのではないだろうか。
少なくとも僕は、量を示してくれた方がありがたいタイプだ。

明らかに自分より勉強していないのに自分より成績が良い人と、明らかに自分より勉強しているのに自分より成績が悪い人の違いについて、単に才能の差だと言えばそれまでだが、ではその才能という言葉の意味を現実世界で確認できるものとして掘り下げていくと、単純にやっている量が異なっていたというオチがあった。

いわゆる成長率が違うのだから、単純な時間の大小で成果を推測するのは安直と言えた。

それゆえに、ライバルがn時間やっているのだからn時間やらなければいけないという主張は、正確ではない。
ライバルがこなしている量と同等以上にこなさなければならない、というのが真に正当な意見だろう。

皆んなと同じくらい勉強しているはずなのに成績が下がってしまうという悩みは、勉強時間ではなく勉強量に着目してみると、解消されるかもしれない。

だからといって、それを最終的に解決する手段を僕は持っていないのが、自分にとっても残念だ。
精神と時の部屋は万人の夢と言えるだろう。