母と共に病と闘うブログ~多発性骨髄腫~ -20ページ目

母と共に病と闘うブログ~多発性骨髄腫~

2018年1月、多発性骨髄腫と診断された母の闘病記録。
たまに息子たちのネタもあるかも。

当初、退院後の生活についての話し合いは13日(火)に病院で行う予定でした。
両親、私
ケアマネ、訪問看護師、ヘルパー

突然の退院で、みんなであたふた。
実家で集まることになりました。
介護用品レンタルの方も同席してくださり、にぎやか。
みんなが違わず、母を第一に考えてくれ、親切で優しくて。金銭授受があるとはいえ、他人に対してこんなに考えてくれるのかと、ある意味衝撃。
電車で席を譲ったり、道を案内するぐらいの軽い感覚で、母の清拭やリハビリのことや食事の世話、日々の生活についてアドバイスしてくれる。
興味をもち、社会福祉士やケアマネの勉強をしてみようかと本屋で参考書を手に取るも難しすぎる。

在宅医療の充実を知っていて、あのドクターはわざと嫌がらせをして退院させたのか?と思ってみたり。

当面は、
ヘルパーさん      月・水・金(1時間)
訪問看護師さん  月・木(1時間)
私                          火・木
父                          土・日

と決まりました。
毎週火曜は抗がん剤の通院日なので、私が付き添えるように。
1月17日に多発性骨髄腫という病気がわかってから1ヵ月。
父も母も心身共につらそう。
私も昨日は母のもとに向かうとき、ちょっと疲れたな、行きたくないなって思ってしまった。
行きたくないと思いながら向かっている自分に自己嫌悪で、久しぶりに暗い気持ちになりました。

ドクハラを受け、結局2月10日(土)に退院。退院時の説明もなく、必要書類も渡されず。
13日(火)の通院で抗がん剤皮下注射の日は、入院扱いのままで、処理が進まず。



2月16日(金)
10時頃母から電話。
病院の書類などを整理できない父に対しての憤り。その他いろいろ溜まっていることを次から次へと。
母は話しながら興奮してきて、父ができないことが多すぎて心配だと。
同調したり、なだめたり、落ち着いてきたのて電話を切ろうとしたら。

母「○○(私)だけは、見捨てないでね。ひとりぼっちになっちゃう。」
と突然泣き出しました。
もらい泣きしながらも、
私「みんなお母さんのこと考えてるよ。見捨てるわけないでしょ。泣かないでよー」
と慰めてみるけど。

こんな母は初めてでショック。
被害妄想が強すぎるから、心療内科的な相談もそろそろ必要な気もする。
父に対しても口うるさく言い過ぎるし。
父は病気のせいでイライラしてるって分かってると言いながらも、最近はイライラしてるみたい。

先日、私も強い口調で父に怒ってしまい、父も追い詰められてるかな。

なんだか難しい。

今から母の顔を見に行くかな。
往復1時間。少し話しても、子供たちの下校に間に合う。
でも私にもやることがあるし、少し休みたい。
その後。
ケアマネさんも間に入ってくれたけど、結局明日退院しなければならなくなりました。

父が病院に行って、内科の先生と話したら「そういう態度なら、次にうちの病院に来ても診てあげない。」というようなことを言われたと。
医者がそんなこと言っていいの?

もうこんな先生がいる病院なんて嫌だ。
でも血液内科のY先生がいるから、他の病院を探せないし。
言い方も態度も精神的に追い詰めてくる。最悪。
最近愚痴しか書いてない。
明日10時に追い出されてきます。