スーパーに買い物に行った。


雨で人気もまばらなスーパーの、10メーターくらいある鮮魚コーナーの手前にさしかかったとき、売り場の前に赤コーンがたててあり、「あぶないのですべらないようにお気をつけください。」という張り紙がしてあった。


なるほど、床がどういうわけかぐっしょりぬれていてすべりそうだ。


おおかた魚と氷の入った箱でもひっくりかえしたのだろうと思いながら、鮮魚売り場に近づこうとしたときに、むこうから、小学校低学年くらいの女の子が陸上競技のように全速力でかけてきて、私の横を通りすぎ、濡れた地面にすべりこみをした。


やれやれ、元気な子だなと思いつつ、ちょうど秋刀魚の刺身があったので手にとろうとすると、またその女の子がこちらに走ってくる。


すかさずよけて、どうなっているのだろうと思い、前方にすべりこみをしてまた立ち上がったその女の子を見ると、私のほうをじっとみて、いかにも「走れないからどいて」という表情をした。


たしかに、障害物にはなっているのは申し訳ないが、こちらも魚を選んでいるわけだし、そもそもここは遊び場ではない。


注意してもいいが、こういう時代、全く知らない女児に、いかに注意するためとはいえ、話かける様子が客観的にどう見えるかわからないし、親がいないのかなと探したが周囲にはいないので、なるべく早く選んで、先にすすむことにした。


この子はたぶん私より少し前からそうやって遊んでいたのだろうが、周囲の大人は誰も気にもとめなければ、注意もしない。


だいたい、この時間に女児が一人でこんなところにいるのも変といえば変な話である。


ところが、そうしているうちにまたその子がこちらに駆けてきたので、もうしかたがないと思い、「ここで遊んだらあぶないよ!」と注意してしまった。


するとその子は立ち止まり、「でもおもしろいし~。」といって、こちらの顔を見たので、その先として、親はどうしたとか、ここで遊ぶと危ないというのは・・・とか言いたかったのだが、これ以上この見知らぬ女の子に話をつづけること自体があまり好ましくないように思い、「とにかくお母さんところに帰りなさい。」というと、その女の子はピューと走ってどこかに行ってしまった。


私はやっぱり昭和時代の教育を受けてきて、親や周囲の大人が知らない子にでも注意しているのを見て育っているので、どうしても他人の子でも危ないことや迷惑なことをしていたりすると、注意してしまいたくなる。


ただそれが、いかに子供のためとはいえ、果たして現代の尺度で正しいかどうかというと難しいところがあるので、私だけではなく、多くの大人が子供たちがすることを見て見ぬふりをして、子供もそれを普通と思うようになっている。


これは「地域社会での大人と子供の絆、見守り」という意味ではまったく逆方向なのだが、子供たちの不審者に対する防御という意味では皮肉なことに正しい。


これは個人的意見ですが、やっぱりでも、大人がこどもに話かけられない、注意できないような世の中は不健全であり、どこか間違っています。


それは愚かな犯罪者たちの残した呪いともいえるものですが、大人の責任として、健全な社会の中で、子供たちを地域みんなで、守る、教育する、指導するといった、かってのおおらかな昭和時代には普通にあったものをなんとか復活させないと子供たちがかわいそうだと思うのです。


このあいだ大阪から博物館にきてくれた小学生の女の子は「塾なんかが忙しくて遊んでる時間がないし、公園や川とかはあそんじゃいけないっていわれてるからお金がないと遊ぶとこもないし。歩いていてもし大人にはなしかけられたら大声をだすか逃げなさいと言われています。」と言っていましたが、そういう世の中に生まれ、生きてゆくこどもたちも大変だなと思いましたね。


ほんとに、どうしてなのでしょうね。