博物館を開くときに、掃除や運搬を一緒に手伝ってくれた仲間の一人のご両親が経営されているお店に、何年ぶりかに顔を出した。

「なんか若いね~。楽しくやってるんでしょう?」と、笑顔で友人のお母さんが出迎えてくださって、もう父親となった友人の話や近況で盛り上がった。


早いものだなと思う。あいつも立派になったなと思う。


昔、ある方に、その友人と私とで高級なバーに連れて行ってもらったことがある。


そんなところにもちろん行ったこともないので、ただ恐縮して顔を見合し、借りてきた猫のように座っていたが、いざ会計のときにその方がサイフから何枚かの福沢諭吉を出して、こともなげに支払っているのを見て、ドキリとした。


そのあと二人で「いいのか?」「まあ出しますというのも変だし、だいち、そんな金ないし・・」という会話をしながらも結局御馳走になった。


思えばあのとき、その方は「大人とはこういうもんだ。おまえたちもいつか後輩にこうして御馳走してやれる男になれ。」と、何も語らずに教えてくださったのかなと思う。


友人のお母さんと別れたあと、ふとFBを見ると、なんという偶然。またその当時の仲間の一人が子供を連れた画像が投稿されていた。


その友人のお母さんと会ったことを連絡すると、さっそく返信がきて、懐かしい昔話に花が咲いた。


人は時代の中で流されて生きる弱い生き物。


出会いや喜び、そして別れや悲しみを繰り返して生きてゆく。


ときには孤独を感じ、消えてゆく日々にむなしさを感じる。


でも、どんなに時が流れても、思い出や仲間は消えない。


今という時間もいずれ思い出になるのなら、すてきな出会いや仲間との時間を積み重ねてゆきたい・



人生にとって一番大切なものはなにか。


今日、なんとなく見つけたような気がしました。






先日、もうすぐ夏ですね・・という言葉がピンでとめてあったという話を書きましたが、そこにまた行く用事があったので、さすがにもう10月だろうと思い、ドアをあけると、全く同じものがそのままありました。


ちょっとびっくりしましたが、そこでそれを指摘すべきかするまいか考えました。


指摘というのは難しいもので、たいていの場合、しないほうが賢明です。


ただ、、それがあまりにも相手に不利益な事柄であったり、公共の場所での掲示物等についてであれば、状況を見て教えてあげるほうが親切です。


それにしても、いい方はあるにせよ、全く関係のない一お客が、斉藤さんばりに掲示物について指摘するとおそらく「ウザイ人」になるだろうなと容易に予測できましたし、あえて苦いとこを言う立場になるほどのこともないのではと思いつつ、まあ、正直、反応も興味がありました。


私もそうですが、経営者の立場に立てばお客様の指摘はありがたいものです。

私自身、うちで働いててくれているスタッフにそう指導しています。


そういうわけで、めんどくさい人になる覚悟を決めて「あの・・」と笑顔でボードを指さしながらおずおずと「もう秋だと思いますが・・」と、指摘すると、指摘された職員の方はものすごくびっくりしてしばらく口をあんぐりあけたままとなり、隣にいた若い女性はさらにびっくりしたご様子でフエードアウトされた。



数秒の間のあと「あっ、すぐにはずします。」といってピューとはずしにかかられたが、なんとなく固い雰囲気でした。


職員の方もよほどびっくrされたでしょうし、いろいろ思うところもありましたが、まあ、服にタグがついてる、シャツがでてるレベルで、たいしたことではないのと、客観的に見てまちがった指摘ではないのでそれはそれで良いと納得することにしました。


これは別に職員さんがどうと言っているのではなく、時代もあるのかなと思います。


昭和時代であれば、お客様も職員の方に雑談などをする余裕もあって指摘などもやんわりしやすかったでしょうが、今はハンドルの遊びがないというのでしょうか、お客と職員の必要以上な会話や接触はどうもいろいろ難しいというところがたしかにあります。


合理的で白黒ハッキリな機能的な社会というのは曲線的で快適な面もありますが、人間というのは元来、あいまいで非合理的な生き物ですので、私としてはいかに経済優先のお仕事であっても「昭和的な部分」は残すべきだと考えています。


そのあとにいつも事務用品をまとめて購入するところに行くと、商品が変わっていて、明らかに質も量を落ちているので、担当の方にお聞きすると、本部の方針で商品が変わったということしか申し上げられませんということでした。


持って帰って使うと、やはり使い物になりませんし、前に買ったものと比較すると、オモチャのようなものになってしまったのを実感したので、残念ながら今後は別のところで購入することにしました。


商品の質が落ちるのは、原材料費の高騰や諸事情もあるでしょうからしかたのないことだとは理解できますし、もちろん悪気などないのでしょうが、これが魚や野菜におきかえても、質をさげて販売するぐらいであれば、、私ならば大幅な値下げか、最初から売らないほうが、お客様のためにもお店のためにもいいように思います。


極端な話で、この話とは関係ありませんが、食品偽装であるとか、詐欺まがいの商売というのは、たしかに一時的には利益があがるのかもしれませんが、商人として、人として悲しくならないのかなと思いますし、長い目で見ると必ず自分に帰ってきます。


人でも商売でも、「お客様に喜んでいただいてなんぼ。お金はあとからついてくる。」という、基本中の基本は、私も経営者として忘れないようにしなければとあらためて思いました。

今日いらしてくださったお客様は、長年、ある百貨店に勤務されておられるそうなのですが、最近は社会性のないまま大人になられた「ちょっと変わったお客様」が増えてきて、困ったクレームも多いそうです。


そういうときには「そのクレームは正当なものか、それとも時間を割くべきものではないのかを判断して。時給に換算し、その問題に応じて適切な対処されるのだそうです。


たしかに、「対処」というのは正当なことを言ったから解決するものではにのは確かで、ある方などは朝、奥様から「ごみをすててきて。」と言われたので捨てにいこうとしてチラリと中を見ると、長年集めた紙モノなどのコレクションが詰め込んであったので猛烈に抗議したところ、逆に奥様に「ゴミを捨られれるのが腹がたつのならこつちにも考えがあると」言われ、おじけずいたところに「そんなにゴミを捨てられるのがイヤなら、あんたみたいな粗大ゴミも捨てようか!」とわめかれ、結局、自分が長年集めたコレクションを自分で捨てにいかされたそうです。


ナムアミダブツ。


まっすぐに正当なことを言うのは正しいことかもしれませんが、かわすことも、変化球も人生には必要。


まさに北風と太陽という気がします。