引き寄せ界隈ではよく、

「"ある"をみましょう」「不足ではなく、充足に目を向けましょう」

という言葉を耳にします。

 

ひらたく言うと、

「今、持っていないものを嘆くより、

持っているものに気づいて幸せを感じましょうね。」

ということ。

 

確かに"ないもの"に意識を向けて「あれがない、これがないぐすん」となるよりも、

"あるもの"に意識を向けて「あれがある、これがあるほんわか」となるほうが

幾分、気分が良くなるのは分かります。

 

でも私の場合はいざ実践しようとすると、

 

「あれがある、これもあるほんわか

うん、幸せだよね......ほんわか

......おやすみ

......にっこり

......おねだり

......いやでも、あれがないしっっ大泣き

 

ってなってたんです。笑

 

「"あるもの"に意識を向けた方が気分がいいって分かっているのに

どうして、すぐに"ないもの"に意識が向いちゃうのかなあ・・・無気力

と不思議に思っていたのですが、、

 

最近その理由に気づきました。

 

それは、

「今"あるもの"を認めて幸せを感じたら、それで満足しないといけない気がする。

もうそれ以上は望んじゃいけない気がする絶望

世の中にはもっと不幸な人もいるのだから我慢しないと。」

と感じていたから。

 

それがゆえに

「今以上に良い状況を望むためには、今の状況に幸せを感じちゃいけない不満

と無意識に思い込んでいたようです。

 

でも、冷静に考えて

「私がより幸せになる」→「他の人が不幸になる」というわけではないし、

「私がより幸せになることを我慢する」→「他の人が幸せになる」というわけでもない。

(全体で総量が決まっているような有限なものに関しては、この限りではない)

 

つまりは無意味な我慢なわけです指差し

 

確かに、自分の周りが幸せになると、

なんだか自分が相対的に不幸になったような気がすることはありますが、

それは幻想。実際はなんの因果関係もない。

 

だから、今あるものに目を向けて幸せに浸りつつも、

「もっと幸せを感じたい!うさぎのぬいぐるみ」って貪欲になっていい。

 

だから、安心して今ある幸せに浸ろう昇天

 

やっとそう思えるようになりました。

 

 

 

・・・で次に疑問に感じたのが

「『充足をみる』と願望実現になんの関係が?驚き

ということです。

これは長くなりそうなので、また別の記事で書いてみます。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました立ち上がる飛び出すハート愛