まずは、こちらの記事をお読みください。


私が20代の後半時。
インフィニティQ45(前期型)に乗っていましたニコニコ


父が、
公認会計士協会の北部九州会•会長
当選したのをキッカケに、購入しました。
(それ以前は、セドリック、グロリア、クラウンに乗っていました)

会長になると、通常のお仕事以外に、
会合や冠婚葬祭等への出席が増えますので。

伺う先や、他業種の方等々へ与える、
公認会計士のイメージアップ
(高潔、知的、スマート、自由等)
を考えてのことでした。


お色は、日産の推し、
イメージカラーのトワイライトブルー✨

とても美しく、光の反射によって色が変化する不思議な色でした。
その名の通り、夕焼けから夜に差し掛かる時間帯が、一番綺麗でしたね😊





会合等では、

他の公用車等が黒色な中、

ものすごーく、目立っていましたウインク



私は、23歳の時から、
父と一緒にお仕事しておりましたが。

車の運転業務も行い、車選びは、
私に一任されていました。
(お仕事中は、父は原則、左後ろに乗っていました)


女が、運転している⁉️

と、当時は、かなり奇異な目で見られましたねチュー


また、

あれは、愛人だ‼️

と噂されたりしましたが(笑)

違います。
娘ですよ‼️ 爆笑

(まあ、父は、非常にモテたので、、、
むにゃむにゃ、、、 笑)



セルシオ

とどちらにするか迷い、

試乗して決めました。


セルシオ 



セルシオは、運転席に座ると、

身長が低い日本人向けの設計
であることがわかりました😅

運転も、全然面白くなくえーん
静かすぎたし、
座ったままスーッと空中移動している感じが
気持ち悪かったです🥲


一方のインフィニティQ45は、スポーツカーでした。

運転すると、
かつて乗っていたフェアレディZ
を思い出しました。

パネル類も、やや
運転席側を向いており、
手が長くないと操作しにくい設計でしたね。




当時、すでに携帯電話📱を持っていた私は、
運転席左側にある肘置きに、ホルダーを設置。
乗車中は、自動車電話として、使っていました。
(若い方には、想像が難しいかも😅)

自動車電話用のアンテナも設置しました。

(参考画像)




記事では、
内装が狭かった、
とありますが。

身長が、180cmあった父でも、
足回りゆったり座れましたよ。

まあ、座席が若干、左右が盛り上がったようなデザインでしたけど。(グレーの本革でした)

(父も私もスリムでしたので、問題なし)



とにかく、

全長 5,090mm

全幅 1,825mm

と巨漢でしたので。

また、スポーツカーフィーリングでしたので、

運転は難しい方だったと思います。


売れなかった原因は、

ここにあった、と考えています。



記事では、

プレジデントがあったし、

とありますが。


私の当時の感覚では、プレジデントは、

高級すぎて、重いイメージでした。




インフィニティQ45は、

「ジャパン・オリジナル」

のキャッチフレーズの元、

旧来の高級車像とは違う、

独自の価値観を追い求めた点で

評価が高かった、

と言われています。

(和の象徴ともいえる、

フロントの七宝焼のエンブレムや、

塗り(金粉蒔絵)のインストルメント・パネル(KOKONインスト)をオプションで設定等々)




あの頃、バブル時は特に、

日本🇯🇵は、

自信に満ち溢れていました。


今の日本🇯🇵とは、到底、比較できない、

まるで、別の国のようでしたね。


再び、日本🇯🇵が、

元気になることを、願ってやみません✨




ちなみに、

車は、父が個人で、中古をローン購入。

(父は、生涯、新車は買ったことがありませんでした)

個人事務所で経費計上。


インフィニティQ45は、大きかったので、

洗車やワックスがけ等、

業者任せにはせずに全て私が行いましたので、

大変ではありました。


まだ、若かったからですね。

その日のお仕事を終えた、深夜等に、

コイン洗車で、1人、熱心に洗っていましたよ。


いつも、ピカピカにしていました😊



本当に、懐かしい、想い出深い車 です✨