最近、般若心経は空の教えが説かれたものだという人々が多くて、空とは云々を説明しているが、実際、空を説明するのは難しい。縁起の法則から、五蘊の法則までしっかりと理解していないと、ただ単に無常の法則に尾ひれをつけただけの理解しか出来ない。あと、自分自身が空であるが、自分が考える空も空ということになり、もしそれだったら空自体が空ということになるという説明で起きる矛盾についてもしっかりと前後関係を踏まえて理解していないといけない。
実際、般若心経は、空性を観ずる瞑想について簡単に説明された文章であるといえる。
観音さんが深い瞑想の中で、あらゆるものは空ということが分かりましたという話だ。
原子が因縁のエネルギーによって結びついて物事が形作られ、これは宇宙の精神エネルギーの流動とも同じ法則であり、人間の頭脳と社会の仕組みの因果関係にもこの法則があてはまり、いかなる場合においても精神と生命のエネルギーの動きに合わせて物事は現象として現れるということだ。仏教では目に見える世界を色と言い、人間の世界としていて、目に見えない宇宙の根本的法則を空と言い、仏の世界としている。
元はといえば、御釈迦さんは実在した人間であり哲学者であった。自分の心の悪い感情と戦い打ち勝って、人々に正しく平和に生きる術を説いた。そして、御釈迦さんが亡き後は、瞑想による精神世界と哲学の研究が進んで、世の中のあらゆる精神の性質や自然現象や人間の理想的感情が仏として曼荼羅で表されるようになった。
その仏様が仏の世界として拝む対象とされているのが現代の仏教だ。
大日如来は宇宙の精神と生命をそれぞれ1体ずつ人型で表しているものだ。不動明王は悪いことをすればそれが災いとして返ってきて、窮地でも頑張れば最後は何とかなるという物事の道理を表したものだ。
実際、仏様に救われたというのは、仏様というのがいて、その仏様が助けてくれたわけではなく、自力で頑張って運気も頑張りに比例して上がって救われたわけで、事故などで無事だった時も、普段からの自分の世の中での必要性などで無事にすむように出来ている。駄目な人はお参りなどの信仰心が厚くても駄目なんだ。
こんな話をしている僕は、元々真言宗の僧侶だけど、どうも教えにつじつまが合わないし、現実離れしていたため、研究に研究を重ねて今の考えに至った。
インド語の中国語音訳の更に日本語音訳だから、真言にしてもお経にしても、真実語でも何でもない。
アメリカ人にコーヒーと言っても伝わらないように、古代インド人のガティーガティーパーラガティーパーラサムガティーボーディースヴァーハーを日本人がギャテイギャテイハラギャテイハラソウギャテイボウジソワカと言っても意味が分からないと思う。
この勉強はすればするほど面白いよ。
初期日蓮宗の教えは、これからの現代人が仏教を信仰する模範になる。唱える言葉が簡単で意味も簡単だが一番肝心なことで、一番的を得ているからだ。
題目の意味は、正しい心で正しく生きることに全てを捧げますという意味だ。
これは日本語だから意味もはっきりしていていい。
法華経は直接釈迦の教えを受けた人達から始まった教えが発展していったものだから、ある意味初期仏教の完成型と言える。密教経典はもとは瞑想の観念法だ。お経もいろいろあって面白いね。