リストラおやじの腹立ち日記
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朝日新聞との決別

 4年半ぶりの投稿である。その間にも腹立たしいことは多々あったがなかなか書く気にはならなかった。しかし、今回の件は私にとってはかなり重要な事件なので筆を取った。

 

 さて、我が家では私が物心つく前から朝日新聞を購読していた。したがって、朝日新聞は私には60年以上も親しんだコメのような存在だった。ところが、ここに来て記事の劣化が酷く、すっかりジャンクフードと化してしまった。このような新聞に僅かばかりの年金から毎月4千円近くも出費するのは忍びなく、遂に解約と相成った。

 私に最後の決断をさせたのは6月19日付けの社説である。小沢一郎衆院議員への批判が書かれていたのであるが、その内容はジャーナリストの論文として到底許容できるものではなかった。既に新聞は廃棄してしまったので記憶に頼るしかないが、「小沢氏の言い分にも一理はあるが、党で正式な手続きを経て決まったことには従うのが民主主義である。」といったことが主張されていた。

 まず第一に私が疑問に思うのは、一議員に過ぎない小沢氏をなぜこれほどまでしつこく非難するのだろうかということである。ジャーナリストというのはペンの力で権力に立ち向かうのではなかったのか。矛先が違うのではないか。これでは小沢氏が権力の座に着くと都合の悪いことがあるからだと勘ぐられても仕方がないであろう。

 第二に、民主党幹部の決定方法が決して民主的でないということである。きちんとした議論を戦わせることをせず、ただ時間をかけることでさも議論を行ったように見せかけ、最後は採決をするでもなく一任で終わらせる。これが正式な手続きといえるだろうか。そうでないことは筆者には分かっていると思いたい。

 第三に、これが最も重要なことであるが、どんなに自分が間違っていると思っていることでも決まったことには絶対服従すべきと言うのか。むしろいかに苦しい立場に立たされても間違いを正そうと努力する方が正しいのではないか。多数が必ずしも正しいとは言えないのである。それが悲惨な太平洋戦争を通じて我々が学んだことではなかったか。

 以上に述べたことから、こんな社説を書くようでは大政翼賛記事を書いて国民に道を誤らせた戦前の朝日新聞となんら変わらないではないか。ここまで成り下がった新聞に購読料を払うことはとてもできない。さらば朝日新聞!

郵政よ、民営化の意味をはき違えるな!

 前回書いてから1年半も経ってしまった。その間、腹立たしいことは多かったが、なかなか私が書かなければという気にまでさせてくれる出来事には出会わなかった。私があまり世間と接触していないことが大きな原因であろう。そんな私が書かずに居れないほど立腹する出来事に遂に出くわした。

 実は私は小学校低学年の頃から50年以上記念切手を収集している。記念切手は過去のブームのおりは値上がりも期待できたが今は切手として使う以外ほとんど価値のないものである。したがって最近は特殊なものを除いて発売日から1週間以内程度に近くの郵便局に行けば余裕で購入できたし、大きな郵便局ならそれ以降でも買うことができた。

 ところがである。民営化したとたん、その日の午前中に売切れてしまうようになってしまったのである。大きな郵便局でも状況はほぼ同様である。初めは売れ残りを避けるために印刷数自体を減らしたのかと思った。さすが民営化してコスト意識に目覚めたなと思った。そこで私は在庫切れにならないうちにと慌てて通信販売で購入することにした。買えてほっとした。しかし、こんな状態がずっと続いているうちに大きな疑問が生じてきた。

 本来商品というものはできるだけ多く買ってもらいかつ売れ残りのないことが望ましいはずである。したがってお客様の便を図って各郵便局に適量を配布し、欲しい人に遍く行渡るようにするべきである。私は生産調整により徐々にそのようになって行くものと考えていた。ところが一向にそうならないのである。発行のたびに買いそびれである。どう見ても故意に配布枚数を少なくしているとしか考えられない。

 これから先は私の推測でしかないのでもし違っていたら反論して欲しいが、以下のように思われても仕方のない状況であることは確かである。すなわち、配布枚数を少なくして品薄感を煽り、通信販売で買うように仕向けているのではないだろうか。郵政はそれによって送料を儲ける事ができるからである。もしそうなら何とも小賢しい話である。もう一度、民営化の目的を考えて欲しい。民営化することにより無駄を省いてコストダウンを推進し、国民の利益になることではなかったか。つまらぬ策を弄して国民を欺き自らの利益を上げることではなかろう。

 しかし、そんなことを続けていればいずれはお客にそっぽを向かれることを知るべきである。現に私もこれを機に何の得にもならない切手収集を止めようかと考えている。家族に道楽扱いされてもなかなか踏ん切りがつかなかったがいい機会かなとも思う。

 以上、多くの人にとってはどうでもいい記念切手の販売を取り上げて郵政がひょっとして民営化をはき違えていないかを指摘してみたが、おしてはかるべし、きっと他の分野でも同じようなことが起こっているのではないかと危惧している。

 

日本国首相の靖国参拝を謝ります。

 太平洋戦争で日本の軍隊に殺された2000万人といわれるアジアの方々およびその家族の方々、本日8月15日の敗戦記念日にA級戦犯が祀られている靖国神社に参拝するような、全く他国の人々の気持ちを慮ることができず、自己の内心だけに忠実な利己的な首相を生んでしまったことに対して日本国民のひとりとして心からお詫びいたします。日本語ができるアジアの方々がこのブログを読まれたらこの気持ちを母国語に翻訳されて身近な方々に紹介していただければ幸いです。

 小泉氏個人がどういう思想を持とうと自由ですが、そういう彼を支持して首相にし、参拝を問題ないと考える日本国民が過半数いるということが問題だと思います。いつから日本国民はこんな自分勝手な国民になってしまったのでしょうか。それとも元々そういう素質を持っていたのがここに来て顕在化しただけなのでしょうか。自分のためだけを考えるのでなく、世界中の人々が平和に暮らせることを願う日本国になって欲しいと願います。

 少しでもその方向に向かうために私個人ができることは僅かかも知れませんが、とりあえず申し訳ない気持ちを伝えたく筆を取りました。

ヤレヤレまたか!ニートは扶養控除外とは。

 共同通信によると自民党税制調査会が成人したニート、フリーターを所得税の扶養控除の対象から外す方向で検討に入ったという。ヤレヤレまたかと思う。最近の政府自民党の弱いものいじめは止まるところを知らない。数の力を借りてなりふり構わず取れるところから税金を毟り取ろうとしている。加速度的に弱者に対する思いやりを失いつつあるのではないだろうか。政権与党がそうであるということは日本人の多数がそうなりつつあると言っても過言ではないわけで背筋が寒くなる。

 ニートは決して単なる怠け者ではなく社会の歪みを敏感に感じ取ってしまう人達だ。本人だって良かれと思ってやっている訳ではなく常に劣等感を抱えながらも自分でもどうにもならないのである。多くの親達だってほったらかしにしている訳ではなく、いろいろ手を尽くしてもどうにもならず子供の将来に大きな不安を抱きながら日々を過ごしている。

 それに対して扶養控除の打ち切りの追い討ちをかけてどうしようというのだろう。そんなことぐらいでニートが止められるようならばとっくに止めているはずである。したがって、税負担を増やすことで若年層の本格的な就労を促進するという狙いはまったく的外れである。親の悩みを益々深くし、事態を悪化させる以外の何物でもないだろう。

 このように日本人に他者のことを思いやる心が欠如してきているのは確かに教育の敗北と言えるかも知れない。しかし、その張本人達が愛国教育だと騒ぎ立てるのだから一体何をされるのか本当に怖い。早急に必要なのは弱者を思いやる精神の涵養であって特に勝ち組といわれる人々になされるべきであろう。

 成人ニートの扶養控除を打ち切って少子化対策の子育て支援減税の財源にすると言う発想は、育ててみたが役に立ちそうもない者は見捨てて財源を新しい労働力の生成に振り向けるということを意味する。何とも嫌な考え方ではないか。このような考え方が大手をふるってまかり通っている社会では多少のお金を与えられても子供を生む気にはなれないのではないだろうか。

デビュー

ついにブログを始めてしまいました。これからどんな展開になってゆくのやら。