父母を想う
手術の前日、朝10時に入院の手続きをしました。
私の自宅から病院までは乗り換えなしですが、その代わり、電車に1時間近く揺られます。
聖路加国際病院ではコロナ以降、とても厳しい面会のルールがあって、
入院中、面会できるのは家族のみ、
しかも、入院日と手術日、退院日の3日のみで30分だけ。
なので、みなさんお一人で来られて、お一人で帰られることが多いとのことでした。
私自身も一人で行って一人で帰ってくるつもりでしたが、
しばらく会えなくなるのでどうしても一緒に行きたいと母が言ってきかないので、
一緒に連れていくことにしました。
病院につくと兄が玄関先で待っていて、
もう48歳にもなる私を心配してくれることにちょっと感動しました。
兄は父が最後にしていたリストバンドと義姉から預かってきたお守りとお菓子を私に持ってきてくれていました。
入院の手続きはあっさり終わり、病棟の看護師さんに挨拶したいという母の希望を叶え、二人は満足したように帰っていきました。
昼食の後、午後にセンチネルリンパ節を染色するための処置があり、その後は病室でゴロゴロ過ごしました。
シャワーを浴びた後には、乳腺、形成、婦人科の先生が次々やってきて、身体に印をつけてくれました。
私はその夜、ほとんど眠れませんでした。
兄が貸してくれた父が最後にしていたリストバンドを見ながら、
父も母も同じように、がんの手術の前は眠れなかったのかな?と思いながら過ごしました。
その夜は、
何度も何度も両胸と卵巣にありがとうを伝えました。
今日もお読みいただきありがとうございます
月明かりのもと世界中の人が幸せでありますように。
