討ち入りまでの間、たぶん色々あったんだろうなぁと思うわけで。
色々逸話も多いので、それはおいおい。

安兵衛さんと磯貝君は、反発しあいながらも、お預け先は同じ細川家。
切腹の順番は残されていませんが、たぶん身分・石高順。
とすれば、磯貝君のほうが先かもしれないのですが・・・・



$AKO47-その朝、潔く

安兵衛さんは36歳。
辞世の句は

『梓弓ためしにも引け武士の道は迷はぬ跡と思はば』

戒名は 刃雲輝剣信士(にんうんきけんしんし)


磯貝君は25歳。
戒名は 刃周求剣信士(にんしゅうきゅうけんしんし)


 ※剣は旧字体
 ※義士の戒名は、大石隊長と寺坂君以外は皆「刃○○剣信士」
「明日はいつものように来る」

とたいていの人は思うし、私も思ってた。

AKO47-平和だった日

きっと彼らも。
47士の中で注目されるのは、大石隊長(違)であったり、最年少の主税君だったり。
歌舞伎の「お軽勘平」だったり、大河ドラマや映画だったりすのですが、その中でウッカリ気になったのが、

堀部安兵衛武庸(ほりべやすべえたけつね)
磯貝十郎左衛江門正久(いそがいじゅうろうざえもんまさひさ)

の2人。

安兵衛さんは高田馬場の決闘で有名だけど、磯貝君のほうはちょいとマイナー。
しかも、この2人って真反対で、何かと対立してるっぽいのに、最期は2人力あわせてるっぽいんですよね。
そこらへんの経緯を想像=妄想するとなかなか楽しくなって・・・・




ってことで、基本はノートのきれっぱにネタをらきがきしたのをまんまのせて、妄想を爆走させてみてるわけです。
妄想のガス抜きってとこです。
308年前の今日(旧暦1703.1.13)は、世に言う赤穂義士46人が切腹した日です。
討ち入りの12月14日(※)は有名な日ですが、こちらの日付はなかなか意識されにくいですね。

47人もの人が一体となって何かをなしとげるというのはすごいなーと思って、ちょっと興味をもって調べ始めた赤穂義士。
彼らだって人間ですから、色々オモロいことをしてくれちゃってます。

そんな逸話から、なるべく“史実”をひろって妄想してみてるわけです。



※武家の時法では12月15日未明であるが、庶民の時法では12月14日深夜。
 現在の西暦では1703年1月31日。