≪楚原駅―麻生田駅間(続き)≫ 

 

 これより路線は言ってみれば山岳路線となる。緩い勾配から次第に急勾配になって丘陵地帯の斜面を登っていく。市街地~田園地帯~山間部と北勢線は変化に富む面白い路線なのだ。

 

 神社前の急曲線を通過すると列車は阿下喜に向かって丘陵地帯の麓から緩い勾配を登る。

 

 右は丘陵の林そして左は広い田園地帯。線路に沿った道路は農道の役割を果たしているがかつて昭和50年前後にはまだこの道路はなく線路に沿って列車を追っかけ撮影することはで出来なかった。

 

 線路の向こう側にも田畑がありそこへ行くための勝手踏切があった。

 

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≪上笠田駅跡≫

 

 しばらく阿下喜方へ進むと・・

 踏切の傍に空き地がある。

 

 ここが上笠田駅跡だ。小さな用水路を渡る橋台跡が残っている。かつては島式ホームからなる交換可能駅で三岐鉄道に事業譲渡後廃止された。小屋の様な駅舎が建っていたようでタブレット交換が行われていた。

上笠田構内配線

 

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 ここから列車はいよいよ林間部へ入っていく。

 丘陵地帯の斜面を這いあがっていくのだ。

 

 昭和32年11月25日午前8時過ぎこの先のS字カーブで超満員の3両編成の上り桑名京橋行き(当時)列車が脱線転覆し3m下へ転落するという大事故が発生した。列車は2分遅れで36Kで走行していたそうだ。事故で3名が死亡し更に3名が重傷を負い他に大勢の乗客が怪我をした。原因はスピードオーバーと過剰な乗客数によるとされている。しかし阿下喜の軽便鉄道博物館のおっちゃんスタッフによると先頭の電動車から後ろ2両へエアーを供給するブレーキホースのコックが絞められていたとのこと??・・まああり得ることかも・・。その後S字カーブの区間は直線化改良がおこなわれた。昭和30年代後半の北勢線は殺人的混雑だったそうだ。

 

 一旦丘陵が途切れる場所でなかなか立派な鉄橋で員弁川の支流である山田川を渡る。

 

 さていよいよ本格的な山登りが始まる!

 先の切り通し部分に25‰の標示が!!

 

 鬱蒼とした林間の25‰急勾配を約1キロ上り続けるのだ。阿下喜側の先頭車は常に電動車でありこの区間の吊り掛けモーターの唸りは物凄い!! 列車は1M2Tまたは1M3T編成であるためフルノッチでもなかなかスピードは出ずなんだかモーターが気の毒になる。

 

 最近の若い鉄道ファンは「吊り掛け」電車が貴重だと追っかけているようだが私の様な年金生活者ともなると若い頃乗る電車は全て吊り掛け駆動車で当然のように吊り掛けモーターの音を聞いていた。特に近鉄2200系の吊り掛け音は独特だった。

 吊り掛け音を堪能するにはここ北勢線のこの区間を乗車すべし! 車内では小さな声は聞こえないからww。

 

 ようやく林間部が途切れると間もなく麻生田駅だ。

 

 鬱蒼とした林間部を抜け陽の光に当たる場所に出るとようやく丘陵頂上付近だ(阿下喜行き下り列車後方から)。

 

 麻生田駅を発車し林間部へ突入していく上り西桑名行き列車。

 

 丘陵下の集落から薄暗い林の中を登って来るとこの踏切に至るが車の行き違いは困難だ。

 

 桑名方を見る。線路は丘陵地の上を走るがまだ南側には林が続く。

 

 麻生田駅方面。南側に続く林のお陰で線路は日陰になり路盤には雑草が生えまくっている。線路の反対側には麻生田の住宅群がある。

 

 左が桑名方で日陰で半分腐った勾配標が25‰の下り勾配を示している。この辺りまでほぼ1キロ長に及ぶ急勾配が続いていたのだ。

 

 麻生田駅手前にこんな面白いモノが・・

 多分下の集落から駅へ上がって来る小道だろうがまさに勝手踏切そのもので線路横断の危険性を記す看板があるものの何故か外灯が設置されている。

 

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【麻生田(おうだ)駅】

 

 西桑名駅から18.1キロ。そして楚原駅からなんと3.7キロの距離がある。

 丘陵をほぼ登り切った標高約95m地点でちなみに西桑名駅の標高は2m。

 

 ちっちゃな駅舎で三重県の福祉・バリアフリーのまちづくり適合証交付駅だ。と言うものの地平からそのままホームへ入れる構造だ。現在の駅舎は事業譲渡後ホーム中央へ移動している。ただ北勢線中唯一トイレのない駅なのだ(・・まあ線路横には鬱蒼とした林があるからいいかな?・・)。駅舎の桑名側には駐車場があるがここには変電所があった。

 

 

 一面一線構造でホーム上屋の一番手前の柱間には壁がないがそこがかつての改札口だった。

 

 ホームの向かい側にはもう一線分の用地がありホームであったらしい痕跡が残っている。

かつての麻生田駅構内配線

 

 貨物列車が運行されていたことがよく分かる配線だ。この目で見たかったなあ・・。

 

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≪麻生田駅―阿下喜駅間≫


 ホームの直ぐそばに在る踏切から阿下喜方を見ると僅かながら更に線路は登っている。丘陵地の下にある集落から上がってくる道は3本ありこの麻生駅に至る道はどうにか車のすれ違いが出来る。

 

 列車は麻生田駅を出ると再び林間部へ入るが墓地の辺りが丘陵の最高地点(標高96m)。

 

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 ところで・・

 墓地の周囲をぐるりと回り小道を下ると線路の築堤部を潜るちっちゃなトンネル(洞門口)がある。この辺りはお猿さんがたむろし墓地の近くで薄暗く人通りもなくなんとなく気味悪い場所だったので向こう側へは行かなかった。ハイキングコースになってるようだが・・。

 

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 再び線路は短い距離ながら林間部へ入りその後勾配を下っていく。

 

 

≪六石駅跡≫

 

 林間部を抜け下の集落からもう一本の道路が上がって来た所に踏切があり廃駅となった六石駅に至る。

 廃六石駅を後にする西桑名行き上り列車。

 

 この辺りの広いところが駅跡だ。

 

 新しいバラストの撒かれた場所に廃止直前のホームがあった。更によく見ると線路の反対側に古いホームの痕跡が残っている。事業譲渡後廃止された駅で阿下喜駅開業前までの十数年間ここが終着駅(阿下喜東駅)だった。

六石駅構内配線

 

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 阿下喜側から六石駅方面へ至る道路には今も「六石駅」との標記がある。

 

 六石駅を過ぎると丘陵地帯から下って阿下喜へ向かう。

 線路は勾配を下り阿下喜方面へと向かう。阿下喜東駅(六石駅)から阿下喜駅間の開通(昭和6年)に1年ほどがかかったのは難工事のためという記述があったが背景には資金難があったらしい。

 

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【阿下喜駅】

 

 標高80mの位置にある北勢線の終着駅だ。西桑名駅から20.4キロ。麻生田駅から2.3キロ。

 

 事業譲渡後新たに立て直された駅舎で有人駅である。

 地平からそのままホームへ行けるので三重県の福祉・バリアフリーのまちづくり適合施設となっている。

 

 楚原駅から阿下喜駅間は日中一時間に一本の運行だ。

 

 長い島式ホーム一面二線構造で通常は右側1号線(本線)が使用される。

 

 右1号線(本線)と左2号線(副本線)の2灯式(YR)出発信号機。かつては数本の側線を有する広い構内で貨物取り扱いも行われていた。

かつての構内配線

 

 ターンテーブルもあった。電車や貨車が留置されていた当時を見たかったなあ・・。

 

 20キロ超の路線終端。

 

 折り返しまで長時間停車するため線路のオイル汚れが目立つ。

 

 駅横には軽便鉄道博物館が併設されている。

 構内にあったターンテーブルが移設され北勢線で頑張っていた古豪226号電車も穂残されている。

 

 駅前ロータリーは広く奥に駐車場もある。道路の向かいにはバス乗り場があり阿下喜―桑名便も走っているが運賃は北勢線の方が安い。

 

【おわり】

 

 

 北大社車庫と砂利採り線そして車両については別項に記録する。