我が家の近くに昔「ふんどし町」と呼ばれていた町並みがある。とんでもない呼ばれ方に住民は迷惑なことだったろう。まあ今ではそんな風に表現する人は居ないけど。

 それは伊勢参宮街道沿いにある南北約1500m・東西100mという確かに細長い町並みで津市の北部(津市河芸町上野;旧安芸郡河芸町上野)にある。伊勢湾側から近鉄名古屋線・国道23号線と並行した旧道だ。

 子供の頃親戚の家に行く時ここを自転車で何度も通り今でもたまに自転車で通り抜けることがある。周りをキョロキョロしてるんだけど改めてじっくり観察したことはなかったので先日自転車でこの町の南端にある銀行まで旧街道を通りいろいろ発見したのだ。

 

 町の北端。ここから南に向かって旧街道が続く。左(海側)には国道23号線が並行している。

 

 街道へ入ると直ぐに酒屋さんの看板があるが営業は行っていないようだ。

 

 呉服屋さん。街道沿いにはいろんな店があったんだろうけどこの呉服屋さんもちらりと覗くと今でも小物だけ販売してるようだ。街道は狭く普通自動車がギリギリすれ違える幅しかない。並行する国道の交通量は物凄く多いが旧道はひっそりとしてる。

 

 旧街道によくある窓に格子のある古い家が結構残ってる。

 

 常夜灯の石柱。その名もずばりの「上野神社」ってのがありその隣には立派なお寺もある。

 

 町並みの切れ目から海側を見ると国道23号線と更に向こうに近鉄名古屋線が見える。電車が通過してる踏切の右側(津側)に伊勢電気鉄道時代の駅跡がある(後述)。

 

 これは土蔵を備えたなかなか立派な町家だなあ。街道に面する二階の多角形の窓は虫籠窓だったかな・・。

 

 今までこの家の前を通てるはずなのに初めて見たなあ・・。

 立派な家じゃないか! 黒塀と見事な松。まあ当地で昔よく言われた「だんなし」(旦那衆)のお宅だろうなあ。本来黒塀は黒く塗られた板壁を指すがこれはどうやら土塀のようだが・・。そしてなんとまさに見越しの松まであるじゃないか。こりゃあ家主(多分先祖)のこだわりなんだろうなあ。誰かおられたら聞いてみようと思ったのだけれど・・。

 

 そしてこれまたここを何度も通っていながら初めて気付いた!

 弘法井戸だと??!! なんだなんだ??

 

 奥にはお堂があり「弘法大師」の額が! なんでこんなとこに弘法大師が??

 

 お堂の手前に貯水槽の様な構造が・・水深1mほどの浅い井戸らしい。覗いてみようかと思ったけれど罰が当たるといけないから。

 

 説明書きによると「昔?ここを通りかかった弘法大師が水を所望したところこの辺は赤水しか出ないからと遠くからきれいな水を汲んで差し上げたところ弘法大使はたいそう喜ばれそれならここを掘ってみなさいと錫杖で示された。そうしたところ清水があふれ出た。以来旅人がこの水で癒されたと」のこと。今も地元の方々により管理されているようだがいつ頃出来たのかは不明らしい。弘法大師が杖で示した場所を掘ったらきれいな水が出たなんて信じられないけど空海さんがここを通ったことは確かなんだろうなあ。お堂の中には弘法大師像があるのか知らん? これも地元の人に聞いてみようと思ったけれど誰にも会わなかった。

 それにしてもこんな場所があるなんて全く気付かなかったなあ・・。

 

 変てこな曲がり角・・

 確か街道の途中が直角に曲がってた記憶があるのだけれどそれがない・・。それがどうやらここらしく角を取って斜めに改修されているようだ。直角部分が残ってるし。

 

 すると・・

 なるほど改修の記録を示す標識が立っていた。戦国時代から!!車じゃなくって人馬が衝突したとな。へえ~そんな歴史があるんだあ。

 

 更に南へ進むと・・

 奥の丘の上に「上野城」跡がある。標高30mほどの丘で現在ほとんど何も残っておらず展望台を含む「本城山青少年公園」になってる。NHK大河ドラマ「」の江姫ゆかりのお城らしく放映中丘の上に津から臨時バスが来ていた。

 

 町並みの南端にこんなのがあった。

 説明によると大正時代のもの(当時は木柱)で旅人の目安に立てられたらしい。

 

 そして・・

 この先で街道は国道23号線に合流し津へ向かう。

 

 並行する国道23号線から見るとお城跡の丘と国道の間に街道と町並みが続く。

 

 

 何十年も前からしょっちゅう通ってる道や町でありながら我ながらほとんど何も見てないんだなあ。いやぁ~こんなに歴史ある街だとは知らなかった。街道に沿って家が並んでるのだから細長くって当たり前。それを褌に例えるとはなんという無礼なことだ(怒)。

 

 銀行で用事を済ませ帰り道ふと思い出して国道の海側を並行する近鉄名古屋線の伊勢電気鉄道時代の「伊勢上野駅」跡へ行ってみた。大正2年伊勢電気鉄道の前身である伊勢鉄道時代に開通した区間だ。

ちなみに現在の伊勢鉄道は国鉄伊勢線の第三セクター化によって生まれその後新たに「伊勢上野駅」も誕生しているから面白い。

 線路の横(山側)に柵で囲われた何やら怪しげな細長いスペースがありここがホーム跡かな? 向こう側には保線資材が置かれた場所もある。画面奥に「千里駅」・手前側に「豊津上野駅」がありその中間地点くらいだ。この伊勢上野駅と豊津浦駅が併合されて今の豊津上野駅になったとのこと。

 

 柵の根元をよく見ると鉄道敷地境界杭があり今もこの空き地は近鉄の敷地だ。駅舎跡は全く不明。

 

追記:この草むらギリギリに足を付いて自転車を降りようとしたところ地面は更に低く記憶にないほど久しぶりにそのまま自転車ごと草むらに横転してしまった。いやあさすがに自分で笑ってしまった!

 

 反対の海側にあるスペースには保線資材と組み上げられた線路が置かれていた。教習用なのかな? こちらもホーム跡なんだろうなあ。

 

 それにしても毎日目にしてる光景を実際はほとんど見てないんだなあ。ましてそこにある長い歴史について全く知らぬまま何十年も過ぎてしまった。大いに反省!!