先日手遅れの紅葉を見がてら名松線の奥地へバイクで行ってみた。その際途中の伊勢鎌倉駅に立ち寄りそれをブログに掲載した。そして以前から伊勢「鎌倉」という名称が気になって仕方なかったのだ。ネットで検索してみたところとあるブログに・・「当地は代々伊勢平氏の領地でその後鎌倉幕府に味方した島津氏に与えられた地」・・なる記載があった。なるほどいまいちよく分からないが「鎌倉」の名称にはそういう背景があったのかあ・・と思った。その出典については何も記されていなかった。しかしだ!・・・その真偽のほどは??

 

 以来調査や確認を兼ねて現地へ三度赴いた。美杉ふるさと資料館や偶然出会った天童よしみ(がちょいと壊れた・・)似のオバちゃんから聞いた話を含め改めて伊勢鎌倉駅を詳細に観察してきたので記録しておかねば!!

 

 名松線終点伊勢奥津駅から三つ手前の駅が伊勢鎌倉駅である。

 

 名松線はその2/3が県道15号線と共に雲出川に沿って走っている。一方奥地では旧県道は山を避ける様にクネクネ曲がった雲出川に沿い伊勢鎌倉駅は旧道の山間にあり現在県道は鎌倉トンネル開通により直進しているので駅及びその辺りの集落だけが切り離された状態だ。

(作図:鉄男=私のことネ)

 

【伊勢鎌倉駅アクセス】

 県道15号線の「須渕トンネル」を抜け雲出川を渡った直ぐの現県道と旧道の交わる交差点を左折すると伊勢鎌倉駅の在るひっそりと隔絶された地域に入るが県道は「鎌倉トンネル」の開通により直進しているため一方旧道は山裾に沿って走っているから切り離された状態になったのだ。

 

 県道は須渕トンネルを抜けると雲出川を渡る。

 

 その先には鎌倉トンネルがありその手前に旧道との交差点がある。

 

 2つのトンネルの中間に新設された進入路から旧道に入る。

 

 交差点から松阪方面を見ると今も山の裾野を這うように雲出川に沿って走る旧道が残っている。

 

 鎌倉トンネル手前で旧道に合流する進入路を進む。鉄男の車が停まっている所は現県道建設の為に分断された旧道の跡である。

 

 これより先道なりに右折すると車の走行音から隔絶された一画に入る。

 

 旧道は再び雲出川に沿い小さな集落に向かう橋を過ぎると伊勢鎌倉駅(画面手前)に至る。

 

 正面がまさに駅前通りである。今どき珍しい公衆電話ボックスとバス停。左には立派な家屋があるけれど無人みたい。そもそも駅周辺には民家が僅か。

 

 地区のコミュニティーバスだけど利用者居るの??っと思ってたら14時11分発のバスがピッタンコ到着。もちろん乗客ゼロだった。

 

【伊勢鎌倉駅】

 駅前通り?はそのままホームと直交する。

 

 振り返ると・・

 旧道の向こう側は直ぐ山でこの山を鎌倉トンネルが貫通している。従ってこの辺りの旧道を通る車はほとんどなく山に遮られて騒音が一切聞こえてこない静地(ある意味聖地)になっているのだ。正面に鉄男の愛車・シルバーウイングが停まってる (^^♪

 

 短い階段を上がるとちっちゃな待合室のあるささやかなホームへ(松阪方)。この先に雲出川を渡る鉄橋があり線路は築堤上を走っている。

 

 ホームの正面には田畑が広がり実にのんびりした風景だ。もちろん静寂そのもの!! 川は山の裾野を流れている。いやぁ~このホームに立つと癒されるなあ・・。

 

 伊勢奥津方。川はコの字型に流れているので線路はこの先で再び川を渡る。

 

 待合室内はきれいに掃除されベンチには埃もない。「八知婦人会」の文字が・・ご苦労様です。どこの家庭にもある目覚まし時計がほぼ正しい時刻を刻んでる。こういう心遣いが嬉しいなあ。棚には駅ノートが置かれ更に駅スタンプまであるじゃないか!!

 

 そのスタンプがこちら・・

 ええ??おおおお!!これは!!! スタンプはかなりくたびれてるが「またきてね いせかまくらえき」の文字と共に何やら怪しげな鳥居とそこから伸びる綱のようなもの・・それに繋がる帽子?(・・なわけないわな)・・そしてそこに居るのは「大仏」じゃないか!! 伊勢「鎌倉」駅・・大仏→鎌倉・・駅名「鎌倉」の背景には何やら壮大な歴史があるのか?? この絵柄について調査が必要だ! それにしてもこりゃ大発見じゃない?!

 

【キハ11形】

 現在JR東海は名松線用にキハ11形4両を有している。全車名古屋車両区に所属し点検・整備のため松阪から紀勢本線―伊勢鉄道伊勢線―関西本線を経由し名古屋まで回送されている。

 

 そうこうしていると駅の北方にある小さな集落から踏切警報音が聞こえてきた・・

 14時14分の伊勢奥津行き列車が北の鉄橋を渡り・・乗客は2名・・そして南の鉄橋を渡り去って行った。この時ばかりはキハ11のエンジン音が響くものの列車が去っていくと再び静寂が戻ったのだ。今どき騒音のないこんな一画があるなんて!! (写真は複数日)

 

【伊勢鎌倉駅の歴史】

 昭和10年家城―伊勢奥津間の開通に伴い開業。

 面白いのは当初当駅設置の計画はなく地元の強い要望で無人の簡易駅として開業した。そして更に地元負担で駅舎を建設した結果昭和22年に駅員2名が配置される有人駅となったとのこと。ところがその4年後に再び無人駅となってしまった。

 

 従って駅舎のあった頃を物語る痕跡があるはず・・ホームをよく見ると・・

 松阪方が延長されている。

 ホーム東側の田んぼからホームを見るとよく分かる・・

 延長前のホームは20m車1両半の長さしかないが延長により2両分の長さになっている。(築堤東側の斜面をちょいと上らせていただいたが決して線路敷内には立ち入っていませんよ! 足元を見るとあちこちに甘納豆が!・・いやいやこりゃ鹿のフンじゃないか!)。

 

 そしてホーム伊勢奥津側の柵の向こうには・・ (柵にかけてある傘は鉄男のモノ・・三回目訪問当日は氷のような風が吹き小雨が降っていたから)

 これは!! 乗客の乗降に使われたホームへ上がる斜路じゃないか!!

 東側から眺めると・・

 おおお! やはりこれは間違いなくここを通って乗客が行き来していたはず!

 と言うことはかつての駅舎はこの辺りに在ったに違いない。その痕跡を探してみたら・・

 どうやらこの簡易トイレが置かれている線路敷から離れた盛り土区域が怪しいじゃないか!

 その盛り土の基礎部分を見ると・・

 石垣!! なるほど・・駅舎はここに在ったに違いない。敷地から考えるにちっちゃな駅舎だったんだろうがかつてはここから乗客が乗り降りしてたんだなあ・・当時を想像・・。

 

【駅前】

 いわゆる駅前には旧道沿いに3軒の家屋がある。

 鉄男の(赤い)車が停まっている所に在る家はまさに廃屋でここを訪れる人々の間では有名である。旧道側の壁は完全に崩れ中が丸見え・・冷蔵庫・竈(くど)・布団・・。

 

 駅前通りの北側にある家は生垣がちゃんと管理されてるようだけど無人・・。

 ところで・・

 駅前通りの入り口に石柱が建っている。上述のブログによると「・・駅前には駅の設置に尽力した当時の人々の名前が刻まれた石碑がある・・」とのこと。あちこち探してみたけれど「石碑」などなくこの石柱は神社の祭祀の際に立てられる幟の支柱だ。

 

 

 そして駅前の一番北に在る家は住人がおられるが道路側の出窓に「TABACO」の文字がありかつてお店だったようだ。

 

【駅近の集落】

 駅の北側で川の対岸に十数軒からなる立花地区という小さな集落があるのでそこへ渡る橋まで歩いてみた。

 県道を隔てた駅前の山には2~3本の小道が上がっている。

 

 しばらく進むと・・

 川原へ下りられそうな小道があり駅の北側に在る鉄橋の辺りに行ける(橋梁の名称を見るの忘れたなあ)。

 

 きれいな水の流れる音だけが聞こえる。短いながら鉄橋もなかなかの威容だ。この鉄橋の向こうに小集落が在る。

 

 小道は線路東側の田畑の広がる一画に通じている。農道が気持ちのいいほどよい散歩道の様だ。また築堤上の駅の全容を見ることも出来る。

 

 築堤の下には鉄道用地の境界杭が建ち並んでいるがよく見ると鉄道用地は意外に広いものだ。

 

 更に旧道を北へ進むと・・

 橋桁が撤去され橋台だけが残る廃橋がありどうやらこれが対岸の小集落へ向かう橋だったようだ。

 

 そして・・

 集落へ通じる現在の立派な「立花橋」がある。

 

 集落は手前の山の斜面にまで広がりしかし住居は十数軒か・・。立花橋を振り返り集落の一部を見る。山と山に挟まれた静かな集落で薪を割る音だけが響いていた。たまに旧道を通る車はこの辺りの住人の移動だろう。

 

 集落の奥に在る山の斜面に向かうちっちゃな踏切で駅はこの先である。この道は更に山の中へと進んでいる。踏切近くの鉄道用地境界杭の位置が面白い。

 

 この辺りは数年にわたり不通だった頃からの線路でレールに摩耗している感があるなあ・・。枕木も相当くたびれてるし。

 

 そしてカメラをぶら下げ戻ろうと集落内を歩いていると後ろからオバちゃんが運転する軽自動車がユルユル近付き・・ジロジロ・・と。「なんやこのオバハンは?・・」

 軽自動車は橋を渡って駅方面へ・・。写ってるのがオバハンの軽自動車。

 

 橋からの眺めは絶景ですな。桜と紅葉の季節はきれいだそうな。川の蛇行によって出来ただろう窪みが夏には絶好のプールになりそうだなあ。

 

 ところで橋を渡り旧道の脇に停めた車に戻ろうとした時・・

 さっき追い越して行った軽自動車がUターンしてきたらしく鉄男の車のそばで停まりまた・・ジロジロ・・なんだ?なんだあ!! すると天童よしみオバちゃんが降りてきて鉄男に向かって「カメラマンの人?」と。簡単に訪問の事情を説明しこの辺りに興味があることを伝えた。

 

天童:「鈴鹿ナンバーの車やからなんやろと思って」

鉄男:「これでここ三回目の訪問でいろいろ写真を撮ってます。この辺は鎌倉っていうとこですか?」

天童:「そうそう。ここ鎌倉」

鉄男:「その地名に凄い興味があって。関東の鎌倉と関係あるのかなって・・。北畠屋敷を含めこの辺って凄い歴史のあるとこじゃないですか」

天童:「さあそれは知らんけど・・。(集落の東側を指差し)この山の奥におっきな武家屋敷があったん。」

鉄男:「へえ~ 今も痕跡が残ってるんですか?」

天童:「いあやもうなんにもありませんわ」

 そこで駅で押したスタンプを見せ・・

鉄男:「ほら! これって大仏さんじゃないですか? だから何か鎌倉と関係あるのかなって・・」

天童:「こんなん初めて見たわあ。ほんまに大仏さんやなあ。そう言えば(今度は西の方を指差し)奥の方に”箱根”って言う地名があるわ」

 ・・となかなか興味を惹かれる話を聞かせてもらった。

 話している最中に天童オバちゃんは道に落ちている枯れた杉の小枝を拾い始めた。ほおほお道に散らばった枯れ枝を掃除してるんだと思ったがオバちゃんは軽自動車のハッチバックを開けその小枝を積み込み始めた。鉄男が怪訝な顔をしていると・・

天童:「ああ・・ウチには五右衛門風呂もあってその焚き付けを拾てんの」

 笑いそうになったわ(笑)。

 別れ際にお礼を言ったら・・

天童:「また来てください」と。

 

 確かに「鎌倉」という名称は昔からのこの辺りの地名らしい。

 「美杉ふるさと資料館」でそこのオジサンと一緒に調べたところ・・

 昭和10年の記載として「一志郡八知村鎌倉」とある。

 

 しかしそれにしても壮大な歴史を有するこの地だけに地名の由来についてますます謎が深まったなあ・・。あの駅スタンプの大仏様はなんだろ?? 箱根って地名もあるってことだし。

 

調査は続く!