2016年5月主要国首脳会議「伊勢志摩サミット」の開催が決定し一躍有名になった賢島! 今まで電車や車・バイクで何度も訪れたことのある場所ながら賢島が「島」だってことを実感することはありませんでした。それはちっちゃな鉄橋・橋をあっと言う間に渡り切ってしまうからです。かねてよりそれを確かめるべし!と気になっていたのですがサミット開催が近づくとその辺をウロウロしているとお巡りさんに捕まってしまいそうだから梅雨明けの今日(海の日:7月20日)バイクで賢島へ行ってきました。それにしても暑かった!!!

 
 確かに地図で見ると賢島は「島」ですねえ。でもちょこっと離れてるだけ(笑)。さて現場はどうなってるのかな??
 
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 その前に賢島が島なら言ってみれば本土の端っこもあるはずです。それが近鉄線の本土最南端駅「神明」です。島式ホームの無人駅! 勿論ワンマンの普通電車しか停まりません。本土最南端駅(笑)であるにもかかわらずここから海は見えません。駅の東側は湿地帯みたいになっており線路際に複雑な形をした池が迫っています。アレッと思ったのは神明駅の上下レールの間にはそれぞれ停止位置標示が②と⑧になっていました。2両編成用と8両編成用で上下にそれぞれ出発信号機も設置されています。志摩線には賢島を発着する特急(名古屋・大阪・京都・臨時で神戸)が頻回に運行されており賢島駅には折り返しや回送扱いの特急列車が複数滞留しその調整のためここ神明駅で運転停車する列車があるんでしょうねえ。同じように上り線でも神明駅の隣鵜方駅には全ての特急が停車するため矢張りこの神明駅で運転停車する列車があるんでしょうかね。いろいろ観察してると面白いことに気付きます。
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神明駅
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線路沿いの湿地帯(右側)
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終点駅でもなく渡り線もない駅の出発信号機

 賢島駅は頭端式ホーム4面5線からなり賢島港から最も離れた5番線が普通電車専用ホームでその他は8両編成を収容出来るホームで特急電車(時に急行電車)が発着します。と言うのも賢島駅が現在の様に改良される以前とその途中では普通電車は旧志摩電時代の最も港寄りの地平ホームを使用していました。現在の賢島駅は志摩電時代の線路に隣接する斜面を切り開いてあたかも高架駅の様になりましたが構内線路はそのまま切り開いた斜面に敷かれているため地上駅です。

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 旧線路はここから駆け下りて旧ホームへ

 さて志摩電(志摩電気鉄道)は昭和4年に鳥羽から当時「無人島」であった賢島まで開通しました。その際賢島駅と海辺に貨物駅である真珠港駅が設けられ賢島港も開設されました。「真珠港駅」なんてなんともいいネーミングですよねえ。海産物を積んだ貨車は志摩電の電車に牽引され鳥羽で国鉄線へと送られていたとのこと。その後志摩電は三重交通志摩線となり最終的に昭和40年近鉄となりました。そして改軌・昇圧が完成し単線ながら名古屋や大阪から賢島へ直通運転が開始されたのは昭和45年で前年の44年に真珠港駅は廃止されました。しかし志摩線は当時単線であったため賢島駅へ到着した電車の留置や簡単な検査のため真珠港駅までのレールは外されることなく改軌・昇圧後2線の賢島車庫として利用されていました。車庫は海に接しておりレールの端っこはまさに海に飛び込みそうな位置でした。以前賢島遊覧船に乗った時海に直面した形で特急車両が留置されているのを見たことがあります・・写真を撮ったんだけどなあ・・どっかへいってしまったぁ>< その後志摩線が全線複線化され賢島駅構内配線も増設されたので車庫とそこに向かう線路は全てなくなってしまいました。「真珠港駅」は残して欲しかったなあ・・。

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賢島港
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賢島港に面する老舗真珠店
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旧賢島駅は賢島港の対面

さて本日の目的は賢島が島であることを語る現場を訪ねることです。
 
 神明駅を出た線路はまもなく国道167号線と並行しそれぞれ短い鉄橋と橋を渡ります。それこそ本土と島を結ぶ架け橋です。橋の上から眺めると左右に深く入り込んだ湾を見ることが出来ますが橋と鉄橋の真下にある海峡を見ることは出来ません。そうです!・・「海峡」と呼びましょう!! しかし橋を眺めていてもそれが本土と島を結んでいるといった実感は湧きません。もっと確たる証拠を目にしたいものです。もう鉄橋の下へ行くしかありませんね。賢島駅に向かって橋梁の手前左側のちょっと先に海辺に降りられそうな場所がありました。早速本土側の鉄橋手前の踏切を渡り海辺へ降りられそうな所まで行ったところ石垣部分からアプローチ出来そうです。海峡の対岸は旅館の敷地になっているみたいです。どうにか海峡の淵へ降り立つとそこは牡蠣の貝殻がいっぱいの砂利で真ん中に透き通った淡いブルーのきれいな海水がありました。目の前にはまさに本土と島を結ぶ鉄橋が!! 「おおおお! ほんとに賢島は島だあ!!」 海峡の幅は50m位かな・・橋梁部分の幅はその半分くらいでしょうか。満潮の際には目いっぱい海水で満たされるようですよ。ちっちゃなちっちゃな海峡です。初めて賢島が島だって実感した瞬間です!
 賢島駅港側駅前に居た遊覧船の呼び込みおじさんの話によるとこの海峡部は時々流れを維持するため掘削されているそうです。確かに放置すれば干潮時に歩いて渡れるくらいになりそうで鉄道が開通するまでは実際歩いて渡っていたそうです。
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本土側から見た海峡に架かる橋梁
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橋梁を渡った賢島側
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橋梁から見た海峡
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画面左側本土側雑木林の先から海峡部へ下りる
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海峡にはきれいな水が・・
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画面左の石垣から海峡岸辺へ

 それにしてもサミット開催直前に本土と島を結ぶ鉄橋の下に居たらテロと間違えられて逮捕されるかもです(笑)。
 
 ついでに賢島と本土を結ぶもう一つの橋を訪ねてみました。志摩観光ホテルを過ぎた所に架かっている立派な賢島大橋がそれです。その本土側橋のたもとに「佐伯勇」と刻まれた石碑があります。佐伯氏と言えば伊勢湾台風で甚大な被害を受けた狭軌の名古屋線を一気に改軌し復旧させた人物として有名な方でここ賢島の開発にも大変尽力された方です。
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 本土とは二つの橋だけで結ばれ周りを海に囲まれかつ風光明媚なリアス式海岸が広がるこの地がサミット会場に選ばれたのも納得がいきます。しかしサミット開催時観光客の足は規制されちゃうんでしょうねえ・・。電車の運行もどうなるのかなあ・・それは通常通りかなあ・・。その時行ってみたいけどテロと間違えられそうな風貌だから止めた方がいいかな(笑)。