返ってきた全国学力調査の結果を複雑な心境で眺める。「小学6年生・小笠原 奈々。国語満点、算数満点。」棒グラフを見ると、娘は全国で上位56%に入っている。奈々は幼い頃から記憶力がよく、本をたっぷりと読み、1説明すれば10理解する子だった。学校の授業は簡単すぎて物足りないと言う。この子を地元の公立中学に進学させるのはもったいないと思っていた。このまま地元にいてはずっとトップだろうし、井の中の蛙になってしまうだろうと。


 小5になると機嫌よく通っていた地元の塾をやめさせ、バスと電車で通学に1時間以上かかる進学塾に通わせた。夜の帰宅は心配なので私と妻で送迎し、弁当がいる日は私と妻で交互に弁当作りに励んだ。塾の宿題は私がずっと横について教えた。『父能研』といわれるように、父親が受験に首を突っ込むのは世間では敬遠されるが、私は決して感情的になることもなく、娘の受験を戦略的に応援してきたつもりだ。しかし

 全国学力調査の結果を傍に置き、受験塾から返却された志望校別模試の結果を凝視した。偏差値44…。順位は下から数えたほうが早いし、平均点にも達していない。井の中の蛙は自分だったのかもしれないと胸が締め付けられた。全国学力調査では上位56%に入っていても、有名難関校は思っていた以上に程遠い存在なのだ。地元でちょっと秀才だからってなんて事はない。娘はごく普通の子だったのだ。娘や妻を巻き込んで、娘の実力を見込んではじめた中学受験がこんな結果になろうとは。小6の秋にこの偏差値なのだから冷静に考えて志望校はきっと落ちるのだろう。受験に落ちたら娘はどんな風になるのだろう。奈々は挫折と屈辱を味わうのだろうか。私や妻に罪悪感を感じるのだろうか。小学校生活を棒に振ったと後悔するのだろうか。娘のことを思うと受験自体をやめてしまった方がいいのかもしれない。私が始めた受験だ。私が終わりにすることだってできるはずだ。


 娘の勉強に付き合うためにやめた酒が無性に飲みたくなった。グラスに氷を入れパントリーの奥深くに眠っていたウイスキーを開けてグラスに注いだ。ぐっと喉に流し込むと熱い塊が胃の中に落ちていった。


 自分が受験生だったらどんなに楽だろうかと思う。私は今までの人生、様々な試験に落ちてきた。大学受験は、憧れだった有名私立校は合格できなかった。大学時代、興味を持ったドイツ語は一度も5級の検定に合格できなかった。就職氷河期で就職試験も散々だった。社会人になってからは昇進試験に2回落ちて、年下の部下になった。「不合格」通知を受けるたびに、自分の人生を、人格を全否定された気持ちになったものだ。だが、これだけ負けを経験してきた自分ならどんな敗北も甘受できる。自分だったらいつかは心の整理がつく。だが、娘は?運動会もマラソン大会も小学校の試験においても、はっきりと優劣や順位を突きつけられたことのない純真無垢な娘が、不合格通知で自分の存在を否定されたと感じてしまったら?一度も挫折を味わったことのない幼い娘が受験に失敗し、望んでいた世界から拒絶されてしまったら、幼い頃から育んできた自己肯定感が一気になくなってしまうのではないか?

 久しぶりに飲んだアルコールが体中をめぐる。ソファに寝転び目を閉じると、まだしっかりと歩けない奈々がハイハイをしながら階段をよじ登っている光景が浮かんだ。そう、奈々は危ないことが好きな子で手を焼いた。まだ歩けないのに階段をよじ登るのが好きな子だった。一段一段、腕の筋肉と脚の筋肉を相互に動かし、柔らかい関節を自在に曲げ伸ばしして、ゆっくりだが確実に階段をのぼっていく。私は心配しながらも手を出さずに後ろからゆっくりついていく。もう、いいじゃないか、そんなに登らなくても、と思うが娘は途中で諦めることもなく、階段のてっぺんに何かがあるかと思うくらい集中し、必死になって登っていく。先に何があるかとか、まだ歩けないから危険だとか余計なことは考えず、ただひたすら目の前に立ちはだかる段々に集中している。挑戦すること自体を楽しんでいるかのように。小さな娘の肩が上下に揺れている。息が上がってきているのかもしれない。だが、私は止めない。娘の挑戦を背後でそっと応援する。決して階段からは転げ落ちないように見守りながら


 目を開けるといつものリビングの天井が私を見下ろしていた。私は慌てて起き上がるとそういうことか、と勝手に合点がいって深く頷いた。決して娘が転げ落ちないように私は私ができることをするのみだ。背後から応援するのみだ。せっかく登ってきた階段の途中で抱きかかえて降ろすこともない。


 テーブルに置いていたウイスキーの蓋を固く閉めると、パントリーのさらに奥にしまい込んだ。