移り気な女でおなじみのわたくしですが、
最近新たに習い事を増やしました。

その名も。

英語。

(よく聞くやつ……!)


ついに。ついに大の英語嫌いアレルギー体質の私が。
え……えい……えいごに……(うるさい)

はい。

いい加減いい年してグダグダ悩んでらんねぇな。
と思いまして、最後の勉強の機会!
と思って英会話教室に入会する事にしましたヤッホー!

コンプレックスはどんどん潰していった方が生きるのが楽になる。
というモットーで生きておりますが、結構な大きな壁として立ちはだかっていたのが
そう、英語でした。
もうね、拒否症状がすごかったんですよ。
しかも歳を取るにつれて記憶力も減っていくし、今からやったってどれくらい
使うか分からないし、どれくらいの効果があるか分からないし、
今更辛い思いしたくない。
ここまで来たら向かい合わずに逃げ切れるのではないかとすら思うのですがね。
そんな感じで、日々日々壁の高くなっていく英語。

ちなみに、何故こんなに拒否する程嫌いになってしまったかというと、
大学時代に一度、英語に挑戦してみたという過去があるのです。

そうそうれは、もう15年ほどまえのお話……(遠い目)
とうじ大学に入学したてで、始めての東京生活、始めての一人暮らし、始めての大学生活。
自分の未来、自分の可能性は無限だと思っていた頃で、とにかく、
何をしたら未来の自分の為になるだろうかと割と本気で考えていたお年頃でした。

そんな希望いっぱいな私は、大学生活の中でも色々な経験をしようと思ってはいたのですが、
それとは別に英会話に通うことにしたのです。
私としては一大決心です。
今まで塾や習い事などは親にお金を出して習わせてもらっていたのに、
自分でやりたいことを決めて、自分で始めて、自分でお金を払っていくのですからね。
英語はそんなに得意ではありませんでしたが、大学一年生ですから、まだまだ可能性はあります。
英会話を通して英語の魅力に取り憑かれでもしたら留学だって可能な訳ですし、
英語が出来ることで、出来るようになることは沢山あると思っていました。

祖父に貰って、「こりゃ一生使えないな……」
と思っていた大学入学のお祝い金を一括で入学金に当て込みまして、英会話教室に通い始めました。

三ヶ月くらいですかね。
日常生活に加えてきちんと予習、授業、復習を行い、受験勉強明けなので飲み込みも早かったのかもしれませんが
それなりに楽しく英会話ライフを過ごしておりました。

しかし、試しに一回だけ、通常とは別の教室で受けた授業で(新宿、渋谷、池袋など、どの校舎で授業を受けても良かった)
とても悲しい出来事があったのです。

授業は4~6人位のグループ制で、完全個室。
ネイティブの先生?が全編英語でお送りするのですが、
なんだか酷い扱いを受けたんですよね。

授業の中で私しか指名されず、答えても「違う、違う」と言われ、
更に読み上げなども何回も繰り返し一人でリピートさせられるのですが、それも
「違う、違う、もう一回」的な事を言われてパニックです。
なんとかやり過ごして次のセンテンスに行っても、
また私が指されて何度も繰り返し発音、
同じ授業を受けた大人の方や学生さんは、「え、なんなの……私達居る意味あんの?」的な空気。
状況が苦しくて途中で泣き出してしまったのですが、それでもまだ私が指され続けました。
大学生にもなってみなまで泣いてしまった事実も情けないし、内容が分からないのも辛いし、
何が良くて何がだめなのかも分からない。
そんな状態で、結局最後まで私だけが指名されて、授業が終わりました。
他の生徒さんからしたら、お金払ってんのに何だったの?って感じですよね。
私としても、最後まで何が何だか分からなくて、何だったの?という感じでした。
しかしそれよりも、その場の空気と、先生の対応と、全てが怖くなって
帰りもトイレでめっちゃ泣いてから帰りました。

が、しかし。
こちらもお金払ってますんで、それで嫌になって辞めたじゃ話になりません。
まだ三ヶ月くらいだし。
ようやく大学でも友達出来たかな~くらいの期間ですよ。舐めてもらっちゃ困ります。

そんなわけで、一週間も開けずに、いつもの校舎に向かいました。
いつもの校舎と言っても、細かくランク分けされている上に、授業も沢山ある中から好きな時間の
コマに行っても良いというシステムなので、先生を選んで授業を受けるとかではありません。
その先生は別の校舎の人だろうし、気を取り直して頑張ろうと学校に向かったのですが。

なんだか入り口の前に、数人の人だかりが出来ています。

「何?」
と思って近づくとですね。


倒産、していました。


入り口の扉に、今でも忘れません、A4の紙ッペら一枚が貼ってあるのを、
私と同じように、普通に授業の予約を入れて校舎に集まった生徒が、
ゆっくり文字を読んでは小さく「え」と声をあげました。
ひとりひとり、近づいて見ては少しだけ離れ、再度確認しに見に来るのです。

その時たまたま集まっている人が大人の男性ばかりだったので、
話しかけることは出来なかったのですが、最初こそかなり動揺しましたが、
一人で静かに絶望した事を覚えています。

その後、確か別の有名な英会話教室(ECCとかだったかな?)に振替の
なんちゃらとか、救済措置のなんちゃらとか、弁護のなんちゃら書類だとか、
色々と書類が来たような気もするのですが、もう何もかもが嫌になって
振替の申請を私はしませんでした。

そして、お祝い金をくれた祖父がその後に亡くなりまして、
更に私は心を閉ざす事になりました。

結局、大学時代に他に英語を学ぶ機会も持たず、資格も取らず、
留学だってもちろん行きませんでした。

私の中では、「英語」を学ぶことを中断されたというよりも、
なんだか「自分の未来の選択肢」を減らされたような気持ちが強かったかもしれません。

その時の、なんでしょうね。
悲しみ?怒り?もしかしたら憎しみの気持ちがずっとずっと胸のうちにありまして、
英語ってやつがすごく嫌いになったんです。
外人も嫌い、英語も嫌い、関わらなくても生きていけるし私はそうします。
そんな感じでしたね。

という、この事を聞かっけに、私は閉ざし、それと同時に
挫折したという現実がずっとずっと心に残っていました。

という、昔話でした。アハハ(笑ってごまかそうとしている、の意)


まぁ、なぜそこまで嫌なのに今更向かい合うことにしたの?
というますと、「嫌だ」、というよりも、「自分には出来ない」という認識のまま
生きていくのが苦しいので、そんなのはもうやめたいと思っただけですね。

やってみた上で「嫌だ、これは自分には向いていない」「自分には必要ない」と判断したのであれば
もうやる必要はないと思っています。何事も。
自分の中でちゃんと、「これはやらなくて良いもの」「これは向かい合わなくてもOK」
という判断が出来た場合です。

しかし英語はというと、「挫折」というイメージのまま自分の中で終わっているという事に気づいたのです。

負けたままじゃ嫌だな。という事で、この年齢ですがまだ体が自由なうちに始めようと思いました。

あ、あとあれです、今後の事を考えた時に、やはり英語ができると転職に有利だという現実も
まざまざと感じることがありました。それもあります。
まだ日本は英語が出来ることが特別視されているので、特別なうちに特別な人間になっておこうかなと。
何十年もすれば、英語が出来ることが普通な世の中になると思いますが、それまでは。


という、死ぬほどどうでもいい他人のコンプレックスを聞かされたところで、
そもそも英語好きでめっちゃデキる人からしたら「Why~?」でしょうけども。

いいんですいいんですそんなんは!とにかく始めたのです!始めただけ偉いのです!

向かい合った私偉い!始めてみた私すごい!(自分で自分を褒めていくスタイル)


これで嫌になったらもう向かい合わないで生きていくと決めましたので、
人生最後の英語のお勉強だと思って、頑張ろうと思います。

てな訳で私が行った英会話教室はというと、
超ニッチなラインを攻めました、「インターTOMAS」という英会話スクールです。

こちら、ただの英会話というよりも、目的の達成を実現させる、という事に重きを置いた
超実践型の英会話スクールだそうです。
母体が個別指導のTOMASというのもあり、目的の達成という意味では結構信頼感あるかなと
思いまして、またしても完全に入る気持ちで体験を受け、入会してきました。

何故色々見比べなかったかというと、うん……めんどくさかったからですね。
あと、個別指導が良かったのですが、個別指導ってどこもだいたい価格帯変わらなかったんで。

ちなみに、色々うちはよそとは違うんです!的な事をもちろんインターTOMASさんもHPとかで
色々書いていますが、開始して二回ほど行ってみた感想を言いますと。

うん、よくわからん!

という感じですね。
英語できるようになるイメージがさっぱり湧かない。
あとメソッド的なものとか、なんていくか、段階的にどうしていくとか全然計画を組むわけではないので
先が全然見えません。
でも今は、とにかく英語自体に慣れろ、の期間だからかな~とも思います。
気長にいくしか無いんですかね。
いや、気長にやってるほどお金の余裕はないので、なるべく早めに効果ほしい所ですけどね。

週に一時間通うだけで出来るようになるわけないので、とにかく自宅での自習を頑張りたいと思います。

ということで、どうなるでしょうわたくしの英語生活。
この先どうなっていくのか、乞うご期待!(とか言って来月辞めてたりしてー!)