前回のブログでは最後に書けなかった

 

その文章達をやさしい言葉で表現できたら

 

そう思っています

 

というわけで

 

私が好きなやさしい言葉をまず言いたい

 

ちなみに言葉という文字は

 

葉は木によって特徴があるように

 

話す事(言)によって人を判別できるから

 

という語源から成り立っているらしいです

 

一説によるとね

 

この会のブログで私のまた違う言の葉を見せることで

 

前回の口悪い印象を和らげたい

 

言葉は受け手によって解釈が変わってしまいますからね

 

気をつけたい

 

あ!好きな言葉は手当て(てあて)です

 

ご存知のとおり

 

医療行為のことです

 

私は母親というものは不思議な力を持っていると思うのです

 

熱を出した時母親が私のおでこに手を当てた時

 

私は一瞬熱が和らぐ感覚があって

 

それがすごく好きで

 

でもずっと手を当ててる訳にはいかないから

 

熱が出た時には濡らしたタオルを絞ってもらい

 

それをずっとおでこに置いてもらってました

 

これが手当ての由来なのです

 

手当ては昔の人

 

それこそ僧侶などの人々が本当に不思議な力があると信じていた人たちが

 

患部に手を当てることで傷が治ったことからできた言葉らしいです

 

でも猫も頭を撫でるとご機嫌になるし

 

純粋にやさしい気持ちで触れ合うと

 

安らかになれると思う

 

だから私も皆さんも

 

できるだけやさしい気持ちでいれたらね

 

すごく難しすぎるんだけどね

 

弱ってる時ってやさしささえも尖って見えちゃうからね

 

言わない品性というもを心のどこかに置いておけたら

 

今回、画像ないけどどうですか読みづらいですかね

 

あーなんか飲むと心が落ち着くお茶置いときますね

↑秋田で買った宮崎のお茶です

なんか文化会館みたいなとこで買ったのですが

レジの人にこれ美味しいですよねと言われたので

秋田では有名なのかな?

ほんとに美味しかったです

『水出し茶』という言葉にまんまと乗っかって買いました

初めての人には怖い印象を持たれることが多いから

話しかけられてすごく嬉しかったです

こんなにもやさしいのだから

私も

 

出だしで前回書いて消した言わない品性が書けて良かった

 

SNSというもの

 

なんでも書けてしまうから

 

すごく怖い思いをする時がたまにある

 

私もブログ始めてから

 

皆さん正直読まなくてもいいのに

 

楽しんでくださる方がいらっしゃってすごく嬉しいです

 

一度だけ苦手な言葉が私の元に届いてしまったことがあるんですが

 

基本的に他人を傷つけたいと少しでも思ってしまった時は

 

自分と対話してみてほしい

 

そういう時はだいたい心が弱っています

 

私は多分心があまり強くない星の元に生まれてきたと思います

 

少しでも強くなれるように自分を不幸に落とすのが好きな変態なのです

 

それは強いってと思う方もいると思いますが

 

その少し生活に不満がある方が個人的に幸せなんです

 

幸福ではないけど

 

私は選択肢が多ければ多いほど悩まなくて済むので

 

すごく恥ずかしい言葉を使うと

 

幸せが怖い

 

これは永続的な幸せが怖いんです

 

そんな人いないかもしれませんが

 

答えなんていらないんです

 

ずっと悩めたら

 

良いかもしれませんね

 

SNSたるもの

 

本来交わるはずじゃなかった人たちが交わってしまうため

 

利用者の中でSNSに向いてない人が大半だと思うんです

 

ネガティブな気持ちを他人に向けるのが文化になってしまっている気がして

 

そんなことよりもっと楽しいことしようよ

 

このブログに興味がない人がいる一方

 

私もそいった方達のSNSにはあまりが関心が向かなく

 

でも私は近年、人ってすごくいいなと思い始めているので

 

ちょっと汚い言葉を使ってしまいますが

 

嫌いなものも好きになりたいので

 

やさしい気持ちでいたい

 

↑しそおにぎり食べる?おいしいよ

 

最後

 

これやさしい言葉で書けるかな

 

だめだ

 

まだできない気がする

 

どうしてもよくない言葉が頭をよぎる

 

それも私の葉っぱなのだろうけど

 

トゲのために栄養を使うなら

 

綺麗で良い匂いがして触り心地のいい

 

葉っぱを大きくしたい

 

よし!もう一個好きな言葉紹介しよう!!

 

たのしい

 

この言葉はたのしという言葉が由来で

 

たのしという言葉は満腹で満ち足りた気持ち

 

という意味らしく

 

さらに『た』という音は『手』という音から変化したもので

 

手の上に食べ物がいっぱい乗っかっている様子という意味があったようです

 

昔の人の幸福感

 

私たちも思い出さないとですね

 

満腹ってちょっときついじゃないですか

 

昔の人は満腹さえもすごく幸福を味わえたのでしょうかね

 

私が幸せが怖いのも

 

満腹になりたくないからかもしれませんね

 

腹八分目ということ

 

そういうことかもしれませんね

 

最後まで読んでくださりありがとうございました

 

皆さんどうか安らかに