【三角大福中】

三木、田中角栄、大平、福田、中曽根、派閥の時代。


中国】と仲良くしなければ、米国占領から抜け出せないという勢力があった。【池田勇人】内閣で、大平外務大臣が唱えていた。これに田中角栄は乗った。しかし政治家としての信念は全くなかったと伝えられています。


【金権政治】

企業を脅して「献金」させて、金集めが相当上手かった

土地を買い「高速道路」をひき「土地転がし」どんどん金儲けし政治に金を使った。


ロッキード事件以後も、10年間闇将軍として

最大140人の派閥を持った。




いまだに人気は高いものの、経済政策などは失敗で

超インフレでも、札を刷り更に拍車がかかった。

金のバラマキにより権力を保つ事しか頭にはなかった。

 

「日中共同宣言」

「日中国交正常化」は総理就任すぐに結んだ。

反米ナショナリストで、米国にいじめられた経験から

中国に傾斜した。(世界情勢)


「周恩来」のほぼ言いなりで結んで「台湾」と断交した

半官半民の【LT貿易】も進めて、財界も中国へ進出していく。


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ベトナム戦争もあり、米国も日本が経済的に独立する事は、国益は損なわないと思っていた状況で

米国大統領ニクソンも、ソ連に対抗するため中国に

近ずいて「毛沢東」は上手くものにしていく。


この後、自民党政治はどの首相においても

【親中】政治が続きました。

2001年小泉内閣で、ようやくピリオドとなります。


自民党内は、戦後【親米】【親中】と分かれていますが

親中の方が多いと考えた方が自然です。


実質的に、30年、政界、財界、官僚界、とも親中だったわけです。


もちろん反対した政治家もいたわけで、三木武夫の親衛隊だった「石原慎太郎」は、桜会、を経て

【青嵐会】を、31人で結党した。


【結党趣意書】には、【血判】が押して誓った事で

自民党の極右」と言われた。


結党趣意書

1、自由社会を守り、外交は自由主義国家群との緊密なる連携を堅持する。

2、国民道義の高揚を図るため、物質万能の風潮を改め、教育の正常化を断行する。

3、勤労を尊び、恵まれぬ人々をいたわり、新しい社会正義を確立するために、富の偏在を是正し、不労所得を排除する。

4、平和国家建設のため、平和は自ら備えることによってのみ獲ち得られるとの自覚に則り、国民に国防と治安の必要性を訴え、この問題と積極的に取り組む。

5、新しい歴史における日本民族の真の自由、安全、繁栄を期するために自主独立の憲法を制定する。

6、党の運営は安易な妥協、官僚化、日和見化の旧来の弊習を打破する。


石原慎太郎の他、森喜朗や、こんな人もいた。

田中角栄に憧れて政治家になった【ハマコー】は

面白く豪快だった。


https://youtu.be/G8c61ZRrkrk



この後も、竹下登 (竹下派) は、親中 (江沢民) 派

として財界も加速して投資していきます。


「親中」から脱皮することは、

この長い年月を考えると、かなり難しく無理がある

と感じたのです。


【自民党】は結党の目的として、憲法改正、自主憲法制定を目的としていました。

戦後10年間は、まともな政治にはならなかったので

占領政策により大変だった事は確かで、死亡した政治家もいて命賭けの仕事だった時代もあります。


その中に、なんか誰かと似た記述を発見。


【池田政権】

池田勇人は、アジア各国と友好関係を結んだ。

内閣法制局に憲法の解釈を変える事で

「憲法 9条を骨抜き」にする事から始めた。

所得倍増計画、10年で給料を2倍にしますと演説し

実質7年の高度成長期で実現した。

防衛費も頂点に達した。

所得が増えた事で

荒れていた学生運動、革命運動が無くなった。


教育、憲法をやり残したとまずは「教育」に力を

を入れようと教育者となろうとした。

「国民が愛国心を持てば自然と憲法は改正される」

と言い残して死去した。


1つの内閣で、1つの政策を実現する事を信念に総理

の使命とされていた。

大きな1つを実現させるために、負の遺産を残す事もありました。

この時の【大平】外務大臣は、中国との接近を始め

たわけです。

【大平】【田中】と親中政策になり

佐藤栄作】で、核武装の交渉も裏でしていたので

一気に弱体化してしまう。

更に

非核三原則、集団的自衛権、徴兵制

を憲法違反として、池田内閣の苦労は全て水の泡としてしまい「ノーベル平和賞」をもらう事になり

現在に至るわけです。


間違った総理で、一気に水の泡となってしまい

また逆戻りというルーティーンになってしまいます。

これは米国でもどの国でも同じかもしれません。


親中政策の原因は、この3人から始まった事は間違いありません。(米国も同様なので、共産国を甘くみた)


事実上、戦後10年はまともな政治もできなかったわけで、小笠原諸島、沖縄返還は、昭和43年です。


いまだに、占領政策中であり真に独立するためには

軍事力が無ければ独立した先進国にはなれません。


これら歴史を見れば納得する事も多く、批判だけでは

ダメで歴史的に原因を教訓にする事が必要ではないかと思います。


しかし望みがないわけでもなく、吉田、岸、池田政権

の自主憲法の制定への血は受け継がれた

安倍晋三は長期政権で、半分くらいは成し遂げた。


内閣法制局長官を変えて「憲法解釈で9 条を骨抜き

」にして、先取防衛でミサイルを持てるまでになりました。

中国の脅威に対抗する、クワッドダイヤモンド構想に

トランプ大統領を引き込む事も実現しました。

第一章は、成し遂げた事になります。


自民党結党の目標、第二章は誰が成し遂げるか?


池田思想で言えば「教育」を変えて、国民に愛国心を

教える事で、自然に憲法は変わる可能性はあるという事になります。


日本】は、中国、韓国、北朝鮮、ロシアに接した

世界に類の無い「危険な国」です。


【国民】は、もっと政治に関心を持ち監視が

必要なのではないかと思います。


【歴史】を勉強しなければならないと思った次第です


マスコミ、経済界、野党が、政権をくだらない批判だけして話にならないのはご存知の通りです。



最後までお読みいただきありがとうございます。



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