以前、「アクティング(演技)が教えてくれたこと」というブログを書きましたが、最近Scene Studyのコースを修了しました。さまざまな劇や映画のシーンを通して、演技力を高め、キャラクターを深く理解していくトレーニングです。
その中で、あらためて感じたこと、そして今の自分が思っていることを、自分のために記録しておきたいと思います。
・自分とは異なる価値観のキャラクターを理解するということ
Scene Studyでは、毎回インストラクターからシーンとキャラクターを割り当てられます。1週間かけて、シーンの背景を読み込み、キャラクターを分析し、どんな人生を歩んできたのかを想像しながら準備をします。
正直、「どうしてこんなことを言うの?」「なぜこんな行動をするの?」と、理解できない役もありました。共感できない人物を演じるなんて無理だと思ったこともあります。
でもそこで学んだのは、その人の“原体験”を想像することでした。
人にはそれぞれ信念があって、それは必ずどこかの経験から形づくられている。幼少期の出来事かもしれないし、若い頃の喪失体験かもしれない。
価値観が違うと感じるのは簡単です。悪者にするのも簡単です。
でも、その人がどんな歴史を歩んできたのかを想像すると、見え方が少し変わる。
ソーシャルワーカーとして高齢のクライアントさんと関わる中でも、同じことを感じます。家族との問題を抱え、孤立している方もいます。外から見れば「なぜ?」と思う言動もある。でも、その人を単純に悪者にするのは簡単でも、その人がどんな人生を積み重ねてきたのかを学ぶことのほうが、ずっと意味がある。
まだまだ私はできていません。でも少なくとも、簡単にジャッジしないでいたいと思うようになりました。
想像力は、優しさにつながるのだと、演技が教えてくれました。
・コンフォートゾーンを超えるということ
あるシーンでは、人生をかけたオーディションを受ける俳優志望の女性の役を演じました。
審査員から無理難題を突きつけられ、最後には「No Wordsで演じろ」と言われます。
言葉なしで、人ではない動物の真似や、周囲の人々を演じ、情景を作らなければならない。
正直すごく恥ずかしくて、一人で練習しているときも、「これ本当に人前でやるの?」と思いました。
でも中途半端な状態や、恥ずかしさを残したままやれば、それは観客にも伝わる。見ている人まで居心地が悪くなる。
だから思い切って120%でやりきりました。コメディにも挑戦しました。
最後の観客の前のパフォーマンスで、自分の演技に笑いが起きたとき、胸が震えました。
思えば、アメリカに来てからずっとコンフォートゾーンを超える毎日でした。大学との交渉、授業料のこと、家探し、就職活動。何もかもが「自分がどれだけ主張できるか」の世界でした。
英語という第二言語で、うまく話せない時期もありました。英語を使うたびに、溺れそうな感覚がありました。
でもその毎日を積み重ねていたら、気づいたときには前より落ち込みにくく、少し強くなっていました。
今、演技のクラスでインストラクターが私たちをどんどんchallengeしてくれるのが、たまらなく楽しいのは、あの積み重ねがあったからかもしれません。怖いけれど、越えた分だけ、確実に自分が広がっていく感覚があります。
・なぜ私はこんなにも演技に惹かれるのか
思い返すと、演技をしたいという気持ちは幼少期からどこかにありました。
父にたくさんの洋画を見せられたことが、きっかけだったのかもしれません。いつか英語で演技をしてみたい、そんなぼんやりした夢がありました。
でも当時は、英語を使えるようになるとも思っていなかったし、第二言語で演技をするなんて、夢のまた夢でした。
それでも「何かを表現したい」という気持ちは消えず、大学ではストリートダンスに挑戦しました。でも正直、センスがあるとは思えなかった。仲間と頑張った時間は宝物だけれど、同時に劣等感も抱えていました。「私は頑張ってもできない人なんだ」と、どこかで思ってしまっていた気がします。
社会人になり、そんな子どもの頃の夢はすっかり忘れていました。
でも海外に出たいという思いはずっと持っていて、気づけばアメリカの大学院に留学し、アメリカに住んでいました。
ジャズの街ニューオリンズで、見ず知らずの人と踊った夜に「君はずっと踊りたかったんだね」と言われたとき、自分の中に確かに何か表現したいものがあると気づきました。その後もダンスや歌に挑戦してみました。でもどこかで不完全燃焼でした。
そんなとき、ふと子どもの頃の夢を思い出し、演技レッスンを受け始めました。
その瞬間、「これだ」と思いました。
私は思い切り泣いたり、笑ったり、怒ったり、
これまで人生で経験してきた痛みもあたたかさも、全部使いたいと思ったのです。
・苦しかった過去も、ちゃんと意味になる
振り返ると、私はずっと「どこにもフィットできない」と感じてきました。
ダンスでの劣等感。アメリカ文化への違和感。中途半端な自分への不安。喪失経験。遠回りもたくさんしたし、ネガティブな感情もたくさん抱えてきました。
でも今、演技の世界にいると、その全部が無駄ではなかったと思えます。
孤独も、劣等感も、異文化での葛藤も、痛みも。
全部が表現の材料になる。
むしろ、それがあるからこそできる表現がある。
論理的に説明できるわけではありません。でも自分の中から「表現したい何か」があふれてくるのです。
そして今は思います。
苦しかった過去も、ちゃんと意味になる。
自分の中から湧いてくる衝動は、無視しなくていい。
まだ途中だし、これからどんな風になっていくのかわかりません。
でも少なくとも、私はもう自分の衝動に素直に、一度しかない人生を生きたいなと思っています。