こんにちは!不登校ママ小児科医のMinnyです。 


小学5年になり、畑登校が始まった次男


他人の役に立つこと、他人のためになることをすること、人に(陰ながら)感謝されること、をすることに喜びをを見出す子なんだと、実感することになりました。(私とは正反対😂)


そして、副校長先生に顔を叩かれてから、恐怖で校舎内に入ることができなくなった次男🥲


その後、徐々に彼のペースで登校ができるようになり、、でも校舎には入れないので、小学校の敷地内で、各学年の児童が育てている植物、野菜、そして用務員さんがお世話してくださっているお花のお世話を始めることになりました。

種まき・苗植えの前には、土を耕して肥料を入れ土づくり。

児童たちが種まき・苗植えした後は、誰の目にも付かないものの、毎日毎日雑草抜き、水やり、肥料やりを理科の先生や担当の先生と始めるようになりました❣️

授業には一切出れなかったけど、土づくりのノウハウや、じゃがいもの種芋の作り方、苗の処理の仕方、を教えていただき、農家の人?ってくらい😂、どんどん詳しくなりました。

夏の暑い日も雪降る☃️冬の日も、校舎には入らず、黙々と先生と作業していました。

次男のために校内に居場所を作ってくださり、暑くても寒くても毎日お昼休みの時間帯に付き合ってくださった先生には感謝してもしきれません🥹

年に何度か、児童たちが収穫しきれなかった野菜があると、嬉しそうに持って帰ってきてくれました。

野菜嫌いだった次男が、僕が作った野菜だよー!と、黙々と食べるようになりました✌️








お野菜作りだけでなく、体育館で式典がある時は、先生たちに混ざって椅子並べ、椅子の撤去も小さい体で手伝っていました。



どうして、自分が参加しない式典のためにあれほど尽力できるのだろう・・・・と、親である私が、黙々と働く次男のために涙を流したことも数えきれません。

それでも、教室に居場所がなくても、先生方が褒めてくださったおかげで、誰かに陰ながら感謝されることで、彼の自己肯定感が保たれる要因になっていたのだと思います🤩

不登校になるまで、そして行き渋りになってからも、私は彼にたくさんの罵詈雑言を浴びせてしまってました。

教室でも学童でも体が小さく優しすぎる次男は、馬鹿にされたり、いじられの対象だったと後から聞きました。

そんな彼の短い人生で、そこの底にまで落ちた自己肯定感が、畑登校そして、お手伝い登校(笑)のお陰で、少しずつ🤏少しずつ🤏、復活してきたのだと思います。

今も小学校に対して、恨みつらみがないと言えば嘘になります🤥。
でも、不登校になってからの個別対応、居場所作りには、本当に感謝しています。

不登校になった当初、「一緒に死のう!」と何度も彼にナイフを突きつけました。
首を絞めたこともあります😭、世界に私たち親子だけ、、砂漠に2人だけ、出口のないトンネルに入りこんだ気になったこともあります。


でも、あの時、手を差し伸べてくださる方々がいたこと、助けてー!!と声を上げたら、助けてくれる人がいること!

私はこれからも声を大にして言っていきたいと思っています。
「人に迷惑かけても良いんだよ!」「1人で抱え込まず、助けて!って声を出してみて良いんだよ!」って‼️

私も誰かに、助けて🆘と声をかけられたら、すぐにら寄り添える人でありたい!

そして、微力ながらも、子どもの病気を治すだけの小児科医師でなく、お母さんも元気になってもらえるお手伝いができる医師でありたいと、今は心から思っています。。


この後、中学に入学してからの3年間の軌跡をまとめました。




   



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