!こんにちは!不登校ママ小児科医師のMinnyです。

 

次男が小学校4年生のとき、教室に入れなくなった際のお話を振り返り中😉

image

 

校長先生と学年主任の先生にご理解を頂き、私立小学校でも個別対応をして頂けることになった次男。

学年主任の先生がお手隙のお昼休みの時間帯に登校したら一緒に過ごすことに。

 

しかし、殴打事件、3か月ほどの倉庫での閉じ込め事件のトラウマから、その当時は学校と先生方に対して恐怖心しかなかった次男、最初は顔見知り程度の学年主任との関係作りから始まりました。

 

➡毎日無理やり抱っこして通学していたのを、週に1回に変更。校内まで車で登校することを許可してもらいました。

 

➡車から降りられない次男のために、主任の先生が車🚙に乗ってきてくださり10分ほど車内で会話。当初は私も運転席に乗ったままでしたが、

 

➡1か月ほど経つと「お母さんいなくても大丈夫」となり、私は車の外で待機おねがい

 

➡さらに2週間ほどたつと、週に1回ほどは車から一緒におりて校内をお散歩走る人しながらお話できるようになりました

 

➡そして小学5年生に進級、当該学年主任の先生は学年主任ではなくなりましたが、校長先生初め先生方のご配慮で、この個別対応をそのまま進めてくださることに。

 

➡小5のG.W.期間中に元主任先生より「先生は毎日花壇や畑の水やりに学校にくるから、君も休みの日の小学校に一度来てみない?」とお声掛けくださり、お休み中の学校に登校、一緒に水やりひまわりしたり、だれもいない校庭で心置きなく走ったり、遊具で遊んだり、めいっぱい一人学校貸し切り状態学校を満喫した次男。

 

➡それまでは逃走はしなくなったものの、渋りながら登校していた次男が、G.W.明けより、見事に嫌がらず車車に乗れるようになり、週1回➡3回➡毎日昼休み登校ができるように

 

➡毎日13時20分に登校して、お昼休みの45分間は元学年主任の先生や小5のクラス担任の先生と過ごせるようになりました。ですが、やはりトラウマからか数か月たっても1年経っても校舎に入ることはできず。

校内を散歩するだけでは退屈になり、元主任の先生と一緒に毎日花壇の世話や畑作業を手伝うようになりましたにんじん

小学1年~6年までの児童が植えている野菜にんじんが屋上庭園に分画されていましたが、この種植えのための土作り、水・肥料やり、雑草の摘除、などを収穫まで行うのが次男の毎日の日課となりました。


こうして次男の別室登校ならぬ「フリースタイル畑登校🥕」が始まり、これは小学校卒業まで続きました。

 

グリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハートグリーンハート

学校に対して不信感、恐怖しか抱いてなかった次男、もう死にたいと言っていた次男、その次男が一歩ずつ一歩ずつ前進し始めることに。

 

心理学的に分析すると、前進し始めたのは次男にとって学校における「心理的安全性の確保」ができたからに他なりません。

心理的安全性が確保されると、人間は心が安定するだけでなく、冒険心・チャレンジ精神が育まれるようになります。

 

長くなったので、詳細は次回にパー