イエス様のおことば 

マタイによる福音書から  (34)

 

「裁いてはいけません。自分が裁かれないためです。あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』とどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすればはっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。」(マタイ7:15)

 

 

 イエス様のおことばは時に非常に厳しく聞こえます。この時イエス様が語られた対象は、当時の宗教的な指導者たち、パリサイ人や律法学者たちを指して言われたことばです。イエス様は彼らに対して、白く塗られた壁とか、表面はきれいだが、内側は汚れで満ちているとか、かなりきつい表現で彼らに語っています。「偽善者たちよ。イザヤはあなたがたについて見ごとに預言しています。『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。』(マタイ15:79)

  私たちは人には厳しく自分には甘いことが多いのではないでしょうか。他の人が事業で失敗したのを見て、あれは自業自得だと言い、自分の場合は運が悪かったのだと言います。他人の病気に対しては、不摂生だからと言い、自分の場合は、ついていなかったと言います。

 他人を裁くとき、その同じ秤でさばかれることを心しなければなりません。以前の私はこの世の中を見て、正直者が馬鹿を見て、悪い奴らは羽振りがいいのはなぜだ、神も仏もあるものか、と思っていました。しかし、全知、全能の神がおられることが分かった時、自分でさばくのではなく、神にさばきを委ねるべきだとわかって、初めて心に平安が与えられました。

 自分の目には梁がある、と聞いて理解できますか。

「梁」とは、「建物などの構造物で、柱などを支点として水平に渡す構造部材」のことです。 屋根や上階の床の重さを支えるために、横木を添えるのが一般的で、この横木の総称が「梁」です。 屋根や床などの荷重を柱に伝える役割があります。

 イエス様の表現は非常にオーバーなように見えますが、事を分かりやすく説明するためのたとえです。目の中に梁が入るはずはないのですが、分かりやすく説明するために、この例えを用いられたのです。イエス様は誰にでもわかるように、話されました。

 一般的に、セルフイメージの弱い人は、人に対して厳しくなりやすいと言われます。自分の欠点や足りなさを強く感じている人は、相手をあるがままに受け入れがたいのです。イエス様を信じて自分がこんなにも神様から愛されているのだ、と思うとセルフイメージは高くなり、他人の失敗や足りなさに対して、寛容になれます。セルフイメージを高く保つためには、自分のありのままを認めて、罪を悔い改めて、イエス様を主と信じることです。そうすると自分がいかに神様から愛され、神の子どもとされた特権を味わうことができます。つまりセルフイメージが非常に高くされます。

 クリスチャンになっても、自分が神の子とされているという自覚のない人は、セルフイメージが低いままです。こんな罪深い者がイエス様の十字架の赦しによって罪が赦された、神に愛されているのだという自覚ができますと、神の子意識が強くなります。神の子意識が強くなりますと、神が自分の味方であるから、何も恐れなくなります。これは特に聖霊体験によって、根底から変えられます。それはイエス様の弟子たちを弟子たちを見るとよく分かります。彼らは復活のイエス様に出会っても力はありませんでした。彼らが非常に変えられたのはペンテコステの後です。イエス様を信じる者には聖霊が与えられているのです。このことをもっと深く知り、体験しますと、あなたは以前よりももっと強くされ、セルフイメージが高くなります。