アウトドアの奨め | 牧師のブログ

アウトドアの奨め

 幼い頃、田舎に住んでいましたので、自然の中で生きることにとても愛着を感じます。本来、人間は自然との調和に生きるように、造られていると思います。その証拠に都会の雑踏の中にいきていると息切れがしてきて、自然の中で過ごしたいとおもうようになります。


 今年もシャローム保育園のサマーキャンプがありました。年長児たちの二泊三日のキャンプは彼らにとって大きなチャレンジです。これまで親元を離れて泊まったことのない子がずいぶんいます。ですから、年によって、なかなか寝られず、泣いている子がいます。保育士にとっては、とても辛い経験になりますが、やがてこの子たちが、一回りも二回りも大きくなって帰っていくのを見ることは、大きな喜びです。


 今年も、家庭ではまずできない、地引網を経験しました。採れる量は少なくても、実際に自分たちが引いた網に魚が入っているのですから興奮します。今年は大きなうつぼが二匹もはいっていました。たこもうなぎも入っていました。一昨年は小さい小魚を研修所の調理の方がから揚げにしてくれて、皆がたたくさん食べました。


 私はボースカウトの隊長を自由が丘にいたときに五年間経験しました。自然の中でテントを張って過ごすのですが、初めての子たちにとって、非常に辛いものがあります。6年生ともなれば、結構背の高い子もいます。それが、夕方になりますと、テントから離れたところで、しくしく泣いています。「おい。山田、お前いくらかお母さんの苦労がわかったか」といいますと、「だって、隊長。お母さんは電気釜で炊いているんだよ」といいます。「そうかも知れないが、君たちのいろいろな世話をしているんだよ。少しは有り難味がわかったかな」と話しました。彼が家に帰って、玄関の戸を開けて、「ただいま」と言って、「お母さん、ありがと」と言ったそうです。その母親が電話してきました。「先生、うちの子が心から有難う、と言ってくれたんです。」その声は電話の向こうで、涙声でした。

 人間、苦労すると本当の有り難味がわかるものです。ですから、野外生活などさせて、苦労をさせてあげることが必要なのです。


 野外生活は自然との触れ合い、困難、危険、いろいろあります。しかし、そのような困難の中で、不自由な中で生きますと、現在の自分が、どれわほど恵まれているか、自覚できます。ですから、アウトドアをお勧めしたい、のです。