昨今のCMや広告は、ユーザーにとってただただウザったいだけの、不要なものと思われているのかもしれません。
まあ、動画サイトで同じCMを執拗に繰り返されたり、ホームページの画面全体を覆ったり、スワイプしただけでリンク先に飛ぶような広告を見せられたらそう思われてもムリはありません。
しかし、過去には未だに伝説とも言うべき、広告媒体という範疇を超えるような、傑作CMがいくつも存在します。
その中の一つ。1997年頃から放送されていた、永谷園のお茶漬けのCMがあります。
薄暗い部屋の中、男がお茶漬けを啜る。内容としてはそれだけ。
そのあまりにもシンプルな構成。男が何か気の利いた台詞ヒトコトも言わない。そしてお茶漬けを食べる時の圧倒的なシズル感。
当時の小学生の中には、後述するあさげとチャーハンの素と共に、男の真似をしたという人もいることでしょう。
このCMが多少賛否がありながらも、多くの評判を呼び、同社のあさげやチャーハンの素などにシリーズ化されました。
先日、このシリーズCMをYouTubeで観たのですが、思い出補正抜きにしても、食品のCMとして最高のものだと感じました。
しかしコメント欄の中には、こういうコメントもいくつかありました。
食べている時の音が、非常に汚らしい。
実は放送当時も、この類のクレームが入っていたらしく、結果的にこのシリーズが終了したのもそれだと言われています。
昨今、所謂“クチャラー”や“ヌーハラ”みたいな、物を食べている音に対して不快に感じる人が増えているようです。
特にヌーハラは、麺を啜る文化がない西洋人にとって、マナー違反の極地みたいなものでしょうし。
私自身、クチャラーに関してだけ言えば、不快感を感じます。
他にもASMRで食べ物を食べている動画。正直、あれは好きではありません。
しかし、私は麺を食べる時は思いっきり啜りますし、先程のCMを絶賛しているように、何もかも嫌っているわけではない。寧ろ好んでいるまである。
これらに何の違いがあるのか。
私自身の考えになりますが、音に対するイメージの受け取る印象の違い、だと思います。
私がクチャラーを嫌うのは、私の中でその音が汚らしい食べ方をしている音である、と印象づいているのだと。
一方でお茶漬けや麺を啜ったりする音に対しては、とても美味しそうだと好印象を持っているから、全く不快に感じないのだと思います。
そう考えると、普段から育ちの良い家庭で育った人は、汁物を啜る音に不快感を覚えますし。
日本人の多くが麺を啜るのが普通になっているのに対し、それがマナー違反となっている西洋人がその音に不快感を覚えるというのは、自然だったのではないかと。
広告において、視聴者たちに商品や会社に対して好印象を持たせることはとても大事なこと。
しかし、万人に対して100点満点の好印象を持たせるような広告は決して作れないでしょう。
多くの人がどれだけ称賛したとしても、必ずそれに不快感を覚えるような人は存在します。
得てして、そういう人の声は称賛の声よりも何倍、何十倍も大きくなってしまうものです。
そして、そういう人ばかりに配慮していると、今度は『誰かに好かれる』広告から、『誰にも嫌われない』だけの広告になってしまいます。
果たして、そんな無味乾燥でしかない広告に、本来の目的を果たすことはできるのでしょうか?
一定数にはどうしたっても嫌われる。それを承知の上で、批判を恐れずに作る広告こそが、私には印象に残る広告を作る第一歩なのかと思います。
だからと言って、ただ周知だけを目的とした、善悪見境ない炎上商法的な広告は論外ですが。