こんにちは、あっこです。
家事や物が減って
ぼちぼち他のことに手を出していた。

初夏の気持ちいい季節が終わり
とうとうじめじめとした梅雨がやってきた。
洗濯機を回し、
今日は乾きそうにないので乾燥機に放り込む。
梅雨の時期はやっぱりありがたい乾燥機。
それでも風とお日様に当てて
乾かした方が気持ちいい。
天気が良い日はできるだけ普通に干している。
以前は干す作業さえ面倒で、
時間を取られている気がしていた。
洗濯と言えば。
以前、ネパールにホームステイした時のこと。
1月の寒い時期、雨も降らず
思うように水も電気も使えない環境だった。
もちろん、お風呂も洗濯も毎日はできない。
ある日、春のような温かい日に
ホームステイのママさんが言った。
「あきこ!今日は洗濯をしよう。」
二人でお庭に行き、大きなたらいに水を入れ
じゃぶじゃぶした。
小春日和の庭には小さな畑や木があって
ときどき鳥や猫が遊びに来る。
とてものどかな光景。
光が射しこむ中、おしゃべりしながら
ゆっくりまったりじゃぶじゃぶする洗濯は
とても心地よくて楽しかった。
庭の木になった大きなサボンという
グレープフルーツのような果物の皮を向き
いっしょに食べた。
「今日洗濯しながらあきこと食べようと思ってたの」
ママさんが笑って言った。
洗濯が終わり、洗濯ものを抱えて
ママの後をついていった。
年季の入った木造住宅。
ぎしぎしという音をたてて
壊れそうなはしごを登っていく。
そこは2階の屋根の上で
ジブリに出てくるような
町中の屋根が視界に広がっていた。

こんな素敵なとこに洗濯物を干すのか!!!
洗濯でこんなにわくわくドキドキしたのは
生まれて始めての経験だった。
「洗濯機があれば洗濯がすぐ終わるのに」
と思ったけれど、ママさんはこう言っていた。
「私たちは手洗いが好きなんだよね。
私の知り合いにもお医者さんでお金持ちの人が
洗濯機を持っているけれど、使わないんだって。」
私たちにとっては
「洗濯=家事」「家事=たいへん」
という公式が頭にある人がほとんどだけど
ここではちょっとしたイベントだ。
「いぇーい、今日は最高の洗濯日和!!
おやつは何にする?
さあ水汲みに行こう!!」
洗濯を毎日する必要がなく
そんなに楽しい行事にできるのは
洗濯ものがそんなに多くないから。
他の家事もそんなにたくさんしないから。
冷蔵庫もない。
その日に食べる材料だけを買ってきて
その日に料理をして食べ切る。
家事をする、というよりは
「食べること」
「着る服をきれいに洗うこと」
しなきゃいけないことじゃなくて
自分に必要なこと
家族に必要なことを
丁寧に、たのしく、あじわう。
12年前からずっと、
ネパールで
心に刻みついてしまった疑問。
どうしてこんなにも豊かで
何でも揃っている私たちより
何にも持っていない
この国の人たちのほうが
ずっとストレスフリーで穏やかなのは
どうして?どうして?どうして???
今ならわかる。
私たちには、「有りすぎる」んだ。
やらなきゃいけないことも、物も。
ほんとうに大切で必要なことは
ストレス受けてまで裁かなきゃいけないほど
たくさんないはずなのだ。
やらなきゃいけないと思い込んできた家事は何か?
絶対必要だと思い込んできた家電や物たちは何か?
どうしてやらなきゃいけないのか?
必要だと思い込んでいるのか?
それは本当に自分のため、家族のためになっているか?
世間体とか、人にどう思われるため、思われないため
人目を気にする、たったそれだけのために
仕事や物を増やしていないか??
捨てていくこと
止めていくことが
暮らしそのものを味わう余裕を生み出していく。
そういえば、ネパールで家族を持ちたいと願った。
自分の時間のために
自分の仕事のために
家族を諦める。
かつて私もそうだった。
ほんとうに諦めなきゃいけないのかな?
「子供が嫌い」とか
「子供が産めない」という理由なら仕方がないけど
もし、「ほしいけど、諦める」
という選択ならば
これにお金使わなきゃ、
時間を使わなきゃ、
思い込んでいる部分はないだろうか。
私たちはもっと
味わえる可能性を持っている!
暮らしも、家族も。
どーにもこーにも
これを一番先にやらないとダメっぽい。