日本に一人で一時帰国してきた
もともと残っていたマイレージを使って
アフリカンダンスのワークショップへ
行くことを予定していた。
家事や育児から久々に解放されて
好きな時に自由にできて
「オンマー!」の遮断も入ることなく
大好きなダンスにキラキラした人たちと
没頭できる、高揚感も究極の幸せも。
今だに夫のスネをかじって
遊びに行くみじめさも
支払っている全てが私の稼ぎだったら
どれだけ気持ちいいだろう、とか
いつまでこれやってるんだろうっていう焦りとか
いろんな気持ちを感じた。
それはまた、別に書きたいと思う。
今回はある人の死について。
たまたま私が滞在している間、
大好きだったKさんのおじちゃんが亡くなり
飛行機の予定を一泊だけ延長して
お通夜に参列した。
父の昔の会社の同僚で友人で
「あきちゃん、あきちゃん」と
小さな時から何かと可愛がってもらった。
韓国での結婚式にも来てくれたし
よく極寒の2月を選んで
私の両親と4人で
ソウルに何度も遊びに来てくれた
「寒い中でね、
激辛鍋を食ってジンロ飲むのが
最高なんだよ、あきちゃん」と
極寒の凍るような寒さの中、
ほっぺを真っ赤にして嬉しそうに言っていた
そんなKさんの家族に初めて会ったのは
私が小学校2年生の時だった。
母につれられ妹と二人
父のいる中東に1年一緒に住むことになり
外国という概念もふわっとしか
理解できていなかった頃
飛行機に乗ることさえ初めてだった母は
小さな娘二人を連れて言葉のわからない国で
飛行機を乗り換えたり
ホテルにチェックインしたり
大人になった今、
その時の母の心情を想像すると
緊張で胸がぎゅっと潰されそうになる
うちの母は人一倍心配性なところがあるからだ
最終的に着いた国で
初めての景色、におい、言葉が
不安と入り混じる
全身黒ずくめの女性たち
布の隙間に目だけが見えてこわい
頭に黒いわっかをつけて
全身白い布をまとって歩く男性たち
きっとわたしも、
隣にいた母の不安や緊張を
全身で感じていたんだと思う
何もわからないということは
目が見えてるけど
何も見えないみたいな怖さがある
そんな時、安心感を感じられる
心のよりどころがkさんのおじちゃんと
その家族たちだった
私たちがこれから住むアパートメントに
彼らは私たちより一足さきに来て生活していた
だからいろんなことを知っていて
教えてくれたし
何よりお父さん、お母さん
お兄ちゃんと弟の、その4人家族が
まるでドラマの中からでてきたような
アットホームで幸せそうな家族だった
いつも怒ることなく
ニコニコ笑っているご両親
人懐っこく遊ぼうと誘ってくれる兄弟
二人とも頭が良くて運動ができて
めちゃくちゃ優しくてかっこいい。
とにかく絵に描いたように模範的な家族で
おじちゃんもおばちゃんも
その男の子二人も大好きだった。
その頃の中東はお金はあっても
今のように栄えてなくて何もなく
国全体がイスラム教なので
お酒も飲めなかった
バブル真っ最中の
若い日本人駐在員には面白みのない
まったく遊べない国だった
だから、集まるといえば
誰かのうちでホームパーティーとか
父たちが仕事をしている
現場のテントとかだった。
本当にたまに、どこかわからない
レストランのような式場?のような所に
ワンピースを着させられて、
連れて行かれたりもした。
私は本当にそれが嫌だった
おじさんたちがいっぱいうちに来て
酒を飲み煙草を吸い
妻たちは夫のために
自家製ビールやワインを作っていた 爆
カラオケセットまであって
大声で歌ってうるさかった
話が途絶えると
私たち子供に話題が振られて
注目されたり冷やかされるのが嫌だった
私は笑いも泣きもしない
何を言われても全く反応のない
愛嬌のない子だった
でもそんなとき、Kファミリーがいると
とてもホッとした
他の人から話しかけられるのは嫌でも
おじちゃんやおばちゃん
その息子たちと話すのは大好きだった
砂漠の中のオアシス的存在であった
お互いに日本に帰国してからは
母親同士はずっと仲良くしていたけど
父たちもそれぞれ別の国に赴任したり
子供たちも別の学校ですごしたり引っ越したり
それぞれの生活があり会わなくなったけれど
私が大きくなってから韓国に移り住み
先程書いたように韓国に
おじちゃんおばちゃんがよく来てくれて
親戚よりしょっちゅう顔を合わせていた
夫と二人でよく明洞まで会いに行った
お通夜には、若い人から年配の人まで
たくさん来ていて
たくさんの人が涙していた
私みたいに、
おじちゃんが大好きな人がいっぱいいたのだ
美味しいものとお酒が大好きで
かなりいい体格をしていたおじちゃんは
棺桶の中で面影もないくらい
頬がこけてやせ細っていた
別の人みたいだった
あの時の
幸せそうに笑っていた息子たちが
泣きじゃくっている
どれだけたくさんの愛情と思い出を
お父さんから受け取ったんだろう
身近な人の死は、
幸いといったらいいのかわからないけれど、
まだほとんど経験したことがない
幼少時代に祖父母が亡くなって
大人になった今、やっと
死ぬっていうのはもう会えなくなること
ということがわかった
今回の帰国で
昨年亡くなった父がもう実家にいないこと、
それがすでに普通に感じるようになってしまった
写真の父を見て ごめんねと呟いた
死ぬっていうのは
もう会えなくなること
会いたくなったら
自分の胸の中の
思い出に会いに行くしかない
今回それが身に沁みて
どんな人に対しても
一緒に喜んだり悲しんだり
一瞬でも心を通じ合わせたことがある人なら
その人が死んだときのことを考えたら
今些細なことでプライド立てて
距離おいたり、自ら仲違いしているのが
バカらしくなってしまった
子供たちにも、というより自分のために
今この瞬間家族でいっしょにいられる喜びを
もっともっと感じたいし
感じさせてあげたい
みんないつかは死ぬから
その人が死んだ時に
楽しい美しい思い出がいっぱいあれば
その数だけ目をつぶって会いに行けるから