週末、本当にひさしぶりに野外ライブのお手伝いに行ってきた。私が習っているアフリカの「バラフォン」という楽器の先生でもあり、友人でもあり、大好きなアフリカの3兄弟。西アフリカのブルキナファソという国のシアム族という少数民族。先祖代々、音楽だけをやってきた家系グリオットの73代目。彼らは学校も行かず、字は書けず読めず(スマホの登場で今はメッセージのやりとりで読んだり入力したりできる)子供の時から音楽だけをやってきた。友達と学校に行きたくて、こっそり教室の外から授業を覗いては休み時間に友達と遊んだそうだ。
だから一般的なお勉強はしたことがないのだけど、耳が人一倍よく、外国語もすぐ覚える。楽器がなくても耳コピができて(逆に楽譜が読めない)、触ったことのないどんな楽器でも、おもちゃのように扱いすぐに弾けるようになる。彼らの国の話、家族や文化のはなしを聞いていると、はじめて聞くおとぎ話のようで一日中聞いてしまうし、彼らのエネルギー溢れる演奏を聴くと1日中でも歌って踊ってしまう。
彼らと話していると、私が出会ったネパールの人たちのことを思い出す。ネパールの人たちはとても静かで恥ずかしがり屋で、このアフリカ三兄弟はうるさいくらいにすこんと明るい。対照的だけど、心の澄み具合がおなじだ。いろんなことを、ただそのまま受け入れる心の力。私はいつもそれに憧れている。自分は弱いなあと思う。一緒にいるとその心のつよさを分けてもらえるような感じがして、ついつい彼らのそばに入り浸ってしまい、いつまででも歌って踊ってお祭り騒ぎをしては家を空ける時間が長くなり家事が回らなくなるので、最近は楽器の練習以外のことに頭を突っ込むことをお休みしていた。
ライブ会場がうちから近かったので、楽器を運ぶのを手伝ってほしいと頼まれた。本当は、私もそろそろ太鼓の音が聴きたくてうずうずしていたのだ。ダンサーのアフリカンの友人たちも勢ぞろいして、久しぶりに言葉と笑顔を交わした。本当にみんな、子供みたいにはしゃいでいる。やっぱりいいなあ、アフリカ。心の壁がない。みんなからから笑っている。別に舞台に上がらなくても踊ったり歌ったり。生活と歌と踊りの区別がない。そんなふうにも暮らしてみたい。
私は小学校の頃、人並みにピアノを少し触った程度だから音楽については全くわからないけど、この人たちが演奏しているところを見ると、まったく同じ人間に見えない。人ってこんな風に手を動かせるのか、と思うくらいの動き。生まれて間もない赤ちゃんのように幸せそうに楽器を奏でる。私は大人がこんな表情をするのを一度も見たことがなかった。彼らの舞台を見ると生きるエネルギーが湧いてくる。
今日は黒子に徹していたけど、最後は踊りたくなってしまって、舞台に上がって端っこで一緒に踊らせてもらった。やっぱり歌って踊って暮らしたい。生活の中に歌も踊りもある、アフリカのように。難しいことなのかな?