かつて父が亡くなったあと
葬儀も済んで、数日後に色んな方がお焼香に来て下さいました
゛大変だったね゛
゛寂しくなったね゛
゛元気だしてね゛
暖かい言葉を沢山いただきました
母と共にそれらの言葉をいただきながら
葬儀も済んで、数日後に色んな方がお焼香に来て下さいました
゛大変だったね゛
゛寂しくなったね゛
゛元気だしてね゛
暖かい言葉を沢山いただきました
母と共にそれらの言葉をいただきながら
その中でもとても、とても心に染み入る方と
そうでない(と感じてしまう)方があり
大抵その感覚は母と同じでした。
ある方がいらして、母の顔を見るなり
゛○○さん、あんた本当に、本当によく頑張ったね。やっと楽になったね。゛
と仰いました。
やっと楽になった、
その言葉はちょっぴりタブーのような気がしたけど、
家族でさえ言いにくかった言葉でしたが、
その言葉を聞いて母が初めて泣き崩れたのを見ました。
優しさに触れた時
それは自分のそれを欲するタイミングにマッチしなければ
要らないものとして忘れて行ってしまうものかもしれませんね
けれども
本当にその痛みがわかる人じゃ無ければ
やっぱり同じ痛みは分かち合えないと思います
大変ですねとか、がんばってねとか
つい言葉にしてしまいがちなのですが
自分に置き換えてみると
立ち向かうしかない場面だったりするので
なるべく容易に使わないようにしています
だって、がんばるしかないんだもの
うまく言えないけれど、
その言葉に支えられる状況はもうすぎてしまっている、
そんなことが多いから。
あくまでもワタシの主観です。