お裁縫 | Akkoの保健室♪

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現在健康管理センターでお仕事をしています.

世帯主さんと2人暮らしをはじめて14年目に入りました.
ひみつのAkko♪の目で見た日常を つらつら綴っていきます♪

昨日久しぶりに夏のTシャツを着たら
ふんわりした袖の袖口のまつり縫いがほころんでいました
今朝は洗濯の合間に縫い物です

あまり上手ではないですが何とかなおせましたので
まだまだ着られます
良かった~音譜

Akkoの保健室♪

こちらはTシャツじゃなくて・・・手ぬぐいです

洗濯して干そうと思ったらりんごの赤いところから糸がほつれてきていました


んー・・・
もうダメかな・・・

実はこれは昔東京へ遊びに行った時に
確か原宿に“かまわぬ”の手ぬぐい屋さんがあったころ
購入したものです



当時私は20代前半
高校時代からの親友くらいに思っていた友人

(この友人のことはかつて記事にしたことがあります.今は全くの音信不通です)

が東京に住んでいましたので
あちこちとお買い物や食べ歩きをさせてもらっていたものです.



手ぬぐいか~・・・と当時は思ったものですが
色々なものを包んだり 額縁に入れたりと
その使い方に衝撃を受けて
普段に使えそうな柄をいくつか選びました

姉妹のように思っていた従姉にもお土産に購入した思い出もあって
だんだん 捨てられなくなって
縫って ふきんとして もう少し使おうと思いました
ひらめき電球



まだ話が長くなりそうなので スルーしてくださいね


こういうお裁縫をすると思い出すのが祖母のことです

祖母は97歳で亡くなりました


祖母は山形の出身で
その祖先はその地域の開墾者で
今もその歴史書に名前が出てくるそうです

当時のお家は商家だったようでとっても敷地が大きくて
自分の敷地だけを通って学校へ通ったようです


祖母はその家の長女
親が決めた男性と顔も見ないで結婚したそうです
人力車に乗ってお嫁入り


祖母の伯母さんが前田家のお殿様にお嫁入りをしていたそうで
お嫁入り前には
お城に奉公に行ってお嫁入り修行をして来たと聞いたことがあります

私は祖母からいろんなことを学びました
お料理やお裁縫や編み物など・・・・

時々昔の話になると
母方の伯母や伯父からは
今からは想像できない生活の話を聞くことができます.

使用人がたくさんいて
ご飯をいただく時のルールやしきたり
お城に上がる時には裃(かみしもというのでしたっけ)を身につけたとか


今も母方の親戚はあるお城の敷地内に住んでいて
お城の管理をしているようです


話を戻しますが

今だから言えることですが
祖母のお裁縫の腕前のおかげで
私は高校時代の家庭科のお裁縫の授業で
10段階評価の10をいただいてしまいました
べーっだ!

当時浴衣を1着仕上げると言う課題がありまして
1年かけて作ったのですが

祖母と二人 呉服屋さんへ反物を選びに行き
高校生が初めて縫うにはもったいないくらいの反物を選んできて
母に呆れられました

そして全ての工程に祖母がダメだし
授業が終わって持って帰ってくると
翌日には
全て祖母が解いて 縫い直してありました汗


祖母は自分でも縫い方が気に入らないと
全て解いてしまうんです

編み物も その後作っていた籠などもそうでした

途中で

にゃー
“これはAkkoのだからおばあちゃんはやらないで!”

と言ったことがあり
その時だけは解かないでいてくれましたが
本当にその時だけ
それも確か袂(たもと)の見えないところだけがそのままのはずです

殆ど祖母が仕上げたと言っても過言ではないです


私の今日のこの運針はがたがたで
祖母が見たら

“Akkoちゃん おばあさんにかしてごらん”

って 縫い直されちゃうんだろうな・・・

って思いました





おばあちゃん

お空のお星さまになっちゃったけど
今でもおばあちゃんのこと覚えてるよ・・・


おばあちゃんにはとってもたくさん感謝しています

おばあちゃんありがとうね