昨日は数ヶ月前から楽しみにしていました
イングリッド・フジコ・ヘミングのコンサートでした
(以下 パンフレットより引用)
ベルリン生まれ。まもなく日本に帰国し母の手ほどきでピアノを始め、10歳からレオニード・クロイツァー氏に師事。
17歳でコンサートデビュー。東京藝術大学で学んだ後に渡欧し、ベルリン音楽学校を卒業。
ヨーロッパで演奏家としてのキャリアを積むが風邪が原因で聴力を失う。
その後、左耳のみ約40%が回復し、1995年、約30年ぶりに帰国。
1999年2月、NHKでドキュメンタリー番組が放送され大反響を呼んだ。
同年10月、再起をかけた東京オペラシティでのリサイタルを大成功させ、
日本での本格的な演奏活動を再開。
同年のデビューCD「奇蹟のカンパネラ」と翌年の「憂愁のノクターン」は、クラシック界初の快挙となる2年連続の日本ゴールドディスク大賞「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を、また2004、2005年にも同賞受賞を果たし、前代未聞の合計4年の受賞となる。
以来、発売したCDは、常にクラシックのトップセールスを記録。
カーネギーホール等、欧米の著名ホールでも成功を収め、
依然として「フジ子・ブーム」は留まるところを知らない。
2004年1月、大阪城ホールで開催された「1万人のピアノライブ」、
2004年1月、大阪城ホールで開催された「1万人のピアノライブ」、
翌年の日本武道館でのリサイタルの出演料と公演収益金の一部は、
ユニセフへ寄付された。
2005年3月24日の愛・地球博開会式での演奏は全国に生放送された。
今後も日本のみならず世界各地でリサイタルやオーケストラへの客演が予定されている。
彼女が有名になってから まだ9年足らずくらいなんですよね・・・
彼女の人生を聞くと その運命のいたずらの数々に
どうか 体を壊さずに ステキな演奏をできるだけ続けてください
と思わずにはいられません
彼女の “ラ・カンパネラ” は子猫が小走りするような
愛らしい演奏 と言われているそうです
今回のコンサートの私たちのシートからは S席でしたが2階席の中央
彼女の手元の動きが見えて 演奏中 すっかり聴き惚れてしまいました
私自身 小さな頃から鍵盤に触れる機会があり 28さいころまでレッスンもしてきました
彼女の指の動きや ピアノの音の抑揚を観て 感じられたことは 本当に感動的です
私たちのシートのすぐ後ろで フジコさんの弟さんが
ビデオカメラやカメラで撮影しておられて
演奏が終わると “ブラボー!” などと 声を掛けておられました
ホワイエでは フジコさんの写真を掲示したり
絵やはがき CDの販売などもしておられ
弟さんや姪御さんたちが中心にやっておられて・・・
やや家内販売のような 感じもありました
舞台はかなりシンプルで フジコさんがトークをする というシチュエーションは全く無し
といった感じで どんどん進んでいったのですが 途中
“ラ・カンパネラの前にもう1曲 リストの愛の夢を弾きます” と話されて それを演奏
『ラ・カンパネラ』 はそれはそれは感動的でした
最後の演目 『瀕死の白鳥』 では バレリーナが曲に合わせて踊るのですが
“もう1回 白鳥に死んでいただきましょう” と話されて すこし笑いもこぼれました
彼女の衣装は 彼女らしい独特の雰囲気で
着物を燕尾服やロングガウンのように着こなして 髪にはコサージュをつけておいででした
想像していたより 大柄な印象でしたが
演奏中の彼女は
“振袖を着た乙女”のようにも見えました
今の年齢はおいくつかわかりませんが 末永く健康に
できるだけ長く 私たちにピアノの調べを届けて欲しいな・・・ と思いました
そして さらに・・・
私たちこの後に 映画を見ました
それは
『舞妓Haaaan!!!』 どす
こちらの映画
かなり笑えました
思い切り笑いたい方には 大変お勧めです
このことについては また後日upしてゆきます