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今の県立歴史博物館、
旧横浜正金銀行本店についてです。
建物の立派さ、
とその建物の立派さはどうしてなのか?
見学しながら発見することが沢山ありました。
また予備知識として、この横浜正金銀行を調べたら、
近代経済史としてもとても面白いのです。
横浜正金銀行は、
為替、つまり外国との取引によって生じる金の流れの
元締めだったところです。
普段何気なく使っている紙幣、
当たり前のように額面の価値通りに紙っきれを
ありがたがって使っていますが、
これ原価など数円とか数十円とか、そんなもんでしょ。
それを使うのは、つまりバックに有る発券元を信用して
回っているのですよね。
明治、大正期日本は軍事国として拡大路線を取り、
中国、韓国に進出していきます。
その時に使うお金として円(軍券)を発行します。
色々リスキーなので日本の円とは別の円を発行します。
2.26事件以前までは、この軍券の発行を裏書きと言って
日本政府が保証していました。
軍が勝手に紙幣を増産して
インフレを起こすのを防いでいた訳です。
しかし、2.26事件で日本政府の大蔵省側の
経済のプロが暗殺され、
それによって軍の思惑による勝手な経済政策が始まります。
預け合い、と言って日本から見せ金を用意し
それを預けると言う名目で軍券を発行しますが
預けた金は使わず本国に戻しちゃうので
何度でもこの形で軍券を発行する事が
出来るようになったのです。
軍券を使った借金です。
根拠のない紙幣発行ですが、
軍は”戦争によって戦争を養う”
という理論でこんな無茶をします。
拡大路線で植民地を得たら
結果金がついてくるという話ですね。
ですから上手く行っている間はいいけど、
戦争が劣勢になった途端、
強烈なインフレが巻き起こってしまうのです。
それでも、このバブリーな路線で、
日本が持っていた以上の軍の費用を
賄えたのは事実です。
忘れ去られたと思われる預けあいも財務省に
414億円という借入金の記録がそのままになっていて
消滅した銀行の記録として刻印されているそうです。
暴走する軍の最後の砦となり、
そして服従し加担したそういう日本史の
一つの現場だったんですね。
横浜正金銀行という所は。。。。