地下鉄サリン事件とその実行犯
”土谷被告”の事をTVでやっていました。
今見ても当時の映像を見ると化学兵器を用いた無差別殺人に
こんなのに巻き込まれたらたまらないと言う、
恐れや恐怖を抱きます。
化学兵器って戦争でも使っちゃいけない兵器でしたよね。
それを一般市民に使っちゃうんだから
もうとんでもない事件だったんですとね。
世間知らずで、真面目で純粋過ぎる性格が
カルトに嵌る土台になっていて
浅原彰晃と言う一人のグルを信じると言う
決めてしまえば楽な生き方ができる、選択をさせてしまい
逮捕され、具体的な状況が解る立場になっても
浅原彰晃を守る気持ちが、事をきちんと見ようとしない
そういう状況を公判でも作り出していました。
そのかたくなな態度を、軟化させたのが
被害者の遺族の一言でした、
”2年間ものすごい苦しみでした、
もしかしたら(土谷被告の)ご両親も
同じように苦しんでいるんじゃないか、そう思いました。
苦しんでいるご両親の為にも本当のことを話してください"と
そういうと公判が始まって数年後のこの日
初めて土谷被告は首を小さく縦に振ったそうです。
息子さんなのか、娘さんなのか、
とにかく土谷被告と同じような年頃かなとは思うんですが
その大切なかけがえのない命をうばわれたわけですよね。
何の落ち度も無く・・・・
それを知った時のショック、苦しみはどんなに大きかったでしょう。
その一番弱って思い遣られるべき人が、憎むべき相手の
ご両親をおもんばかるとは・・・・
辛い立場なのに自愛あふれる言葉、
なんて立派な人なんだろうって私も感動しました。
怒りや暴力で心の問題は解決しませんよね。
以前自分の身内や大切な人が、何の落ち度も無く
殺されたとしたら、どうしますか?って問いが有った時
”私なら同じ裁きを受けさせる”とか
目に前に居たら同じようにする。とか
はげしい意見も書かれていて、
私はそうであっても
”法の裁き”を尊重すべきなんじゃないか
と思っていて、でもそれは自分に本当に愛する者に対して
愛情が深くないからなんじゃないか?
どれが正しいのか、
解らないで居ました。
心を溶かすのは、
立場を超えた愛なんだよね。
綺麗ごと、絵空事と言う事を苦しい立場の人が
やってのけることがある。
だから人は素晴らしいんですね。