普段なんとなく時間をつぶしているだけの生活を
しているような気がします。


一生懸命生きる


言葉としては良く耳にしたり、言ったりもするんですが
はたして一生懸命に生きるってどういう事か?
改めて問い、考えてみると難しい。。。。


一生懸命って


毎日をしたいように生きる

したいと言うのは好きな事をするんじゃなくて
自分が望む方法に向かって努力していくって事だと
旦那は教えてくれました。


もっといろいろ知りたくなって
”一生懸命生きる”で検索して

http://www.shinrankai.or.jp/jinsei/index.htm


人生の目的、


と言うHPを見つけました。


人が心平安に生きていく為には
人生の目的が必要とここでは述べています。


ところが目的は、生きがいや趣味を持つことや財や権力を持つ事
とは違うんだと言っています。


時とともに変化して失う可能性があるものは目的には
なりません。


釈迦もかつて、人生の目的について悩み考えて
出家しました。
すべての苦しみは、死ぬ事への恐怖から発していると
考えました。
そういう事から発するもろもろの苦悩を取り除き
絶対の幸福を手に入れることが
人生の目的ととらえるのだそうです。


死は普段は頭の中で考える他人事だから
綺麗ごとになってしまいますが、
自分が死に向かい見つめ合い
あきらめや張ったりでなくほんとにそういう態度で
居られるか?と考えると大いに疑問でありますね。


苦しみの根源は”無明の闇”であると
釈迦の教えを学んだ親鸞は教えます。


以前無明を
単に知恵のない事と書きましたが、
無明ってもっともっと深い言葉だったんですね。


金や財を力にしている者は、金や財を失った時に崩壊する。
名誉や地位を力にしている者は、それらをなくした時に顛倒する。
親や子供を力にしている者は、親や子を亡くした時に失墜する。
信念を力にしている者も、信念ゆらいだ時にまた倒壊する


先日、信念の為に死ぬ、そういう人も居ると言う事を
肯定的に書きましたが、
それすら信念が揺らいだときまた倒壊する、と厳しい批判
をしていますね。


古今の思想がありますから
その中で対局する場合、どう考えるか。。
この辺はまだ模索段階で良いと思います。


万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、
"よくぞこの世に生まれたものぞ"
の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。


そして苦悩は自我から発しているものであるから

自我を徹底的に消さない限り、心のもやもやは消えませんと
言っていました。


偶然が重なって生まれてこれたんだから

その生に感謝して人に尽くしなさいって事かな。


そういえば震災の時、ただただ助けたい、役に立ちたいと言う気持ちが

湧きあがってきました。

とっさのときそんな風に感じるのが人なんですね。

そんな時は、死と言うものに近いのに生きるという力は強まっているような

気がしますね。


言葉が思想として自分の身になじむまでは
ただどんなに素晴らしい思想でも文字の集まりにしかならないから
これからだんだんに自分の頭で噛み砕き考えて
納得して自分の人生を作っていく事を
目標としていくって事ですかね、


難しい。。。