昨日ご飯の後片付けをしていたら
TVで無明と言う仏教用語の解説をしていました。
ながら仕事できちんと聞いていなかったことを
後悔しましたが。
無明というのは、ブッタが修行の末に悟った真理で
知恵がない状態であると解説していました。
知恵は親の教えた道徳や生き方ではなく
学校の知識
社会の知識
国の知識
習慣の知識
そういう時とともに変化していくものでは無いようです。
これを聞きながら、ふと五体不満足の乙武さんの始球式のニュース記事のが
心に浮かびました。
彼は両手両足が無いハンデを持って生まれてしまいましたが
この状態で普通はボールなど投げられるはずがないと
考えてしまいますが、ちゃんと残った機能を使い
ボールを投げています。
このボールが投げられるはずがないと考えることが
無明であり、
ボールを投げる乙武さんは
知恵のある人、無明の反対の光明のある人
になるんではないかと思い浮かんだのです。
たかだか、人生の後半に差し掛かったと言う事だけで
自信を失い、やることなすことをつまらない意味の持てない
状況になっていくと考えるのはやはり無明と言えると
自分に言い聞かせてしまいました。
あるべき機能を使い、たくさんのやれることをやり
生きていくことが人としての使命なのかとも
思うのです。
TVで無明と言う仏教用語の解説をしていました。
ながら仕事できちんと聞いていなかったことを
後悔しましたが。
無明というのは、ブッタが修行の末に悟った真理で
知恵がない状態であると解説していました。
知恵は親の教えた道徳や生き方ではなく
学校の知識
社会の知識
国の知識
習慣の知識
そういう時とともに変化していくものでは無いようです。
これを聞きながら、ふと五体不満足の乙武さんの始球式のニュース記事のが
心に浮かびました。
彼は両手両足が無いハンデを持って生まれてしまいましたが
この状態で普通はボールなど投げられるはずがないと
考えてしまいますが、ちゃんと残った機能を使い
ボールを投げています。
このボールが投げられるはずがないと考えることが
無明であり、
ボールを投げる乙武さんは
知恵のある人、無明の反対の光明のある人
になるんではないかと思い浮かんだのです。
たかだか、人生の後半に差し掛かったと言う事だけで
自信を失い、やることなすことをつまらない意味の持てない
状況になっていくと考えるのはやはり無明と言えると
自分に言い聞かせてしまいました。
あるべき機能を使い、たくさんのやれることをやり
生きていくことが人としての使命なのかとも
思うのです。