以前深夜番組で、映画の批評を男性の批評家3名
女性の批評家1名で得点を付けるという企画がありました。

たまたま見た女性の批評家の実力が不足していたのかも
知れませんが
出てきた映画を、その人なりのルールに則って論理的に解説する
男性陣に対して
女性の話は感覚的で論理性に乏しいので、説得力がないものに成っていました。

女性の感覚もその人らしさがあって良いと感じられるけど
あほ~に見えるのがいかんともしがたい。。。。

男性陣の話は
面白かったことに、後から
”エピソートでつないでいるから良い”とか
映画の見方の教科書で学習しましたって発言で
そんなら、エピソートでつないだらなんでもいいのかよ?
って表現方法重視のところもあるなって感じられました。


女性は論理的に分析することが苦手だけど
対象物を体感できる感覚の鋭さ、のようなものがあると思います。

そんなことを感じたのは、
クイーンの放送を別の日に見たからです。

クイーンがブレイクした最初が日本だったんですよ。

私が中学生だった頃、
友人たちでロックファンの女の子たちは
(文学少女でもあった)
ミュージックライフって本を片手にクイーンに心酔していました。
(私は興味がそれほどなかったから、蚊帳の外だったけどね)



今、意味を知り何十年の間に何度も聞き
クイーンってすごいってようやく解りますが


リアルタイムで無名に近いロックグループに
なにか引っかかるものを感じ
それは、フレディーがバイセクシャルであるっていう事や
マイノリティーとしての劣等感なんかを克服しようとするパワー
なんだけど
そういう事が知らなくても感じてしまう感性の良さが
日本の女の子に有ったということがなかなか誇らしいです。

言葉で上手に説明できなくても
上手いものは上手い
好きなものは好き

こういう本物を見つめられる目というのも
あるんですよね。