今日の朝日新聞で

”死刑の世界地図”という特集が載っていました。

http://globe.asahi.com/feature/101018/index.html


色々な考え方があります。


また、その国の政治状況や、思想や、信仰や
民主主義の捉え方によって死刑の捉え方が変わります。


死刑を支持する考え方として


人を殺した事への報いとしての死刑
凶悪犯罪の抑止力としての死刑


死刑反対派の考え方としては


死刑の線引きの難しさ
誤判の可能性
国家権力は個人の個人の人権を侵害しないように
抑制的に使うべきだから。


日本では世論的に死刑支持が多いので
死刑存続がされていて死刑廃止の議論と言うものは起きていません。


歴史的に”あだ討ち”とか因果応報とか
理不尽な扱いに対して出来うるただ一つの方法だったので
その考え方が文化として演劇とかを通して
受け継がれているのかなと思います。


何の落ち度もない愛する人が殺された時の苦しみ
は想像を絶する苦しさだと思うのです。

私もそんな事が起れば、相手を憎み
死刑を心から望む気持ちにならない
なんて絶対いえません。


家人がこんな無意味な死に方をしたら
極刑を持って、死んでいった無念を晴らしてあげたい。
とも考えるけど
それでも愛する人は帰って来ないんですよね・・・・・


自分の考え方として
死刑制度を考える時


では戦争はどうなんだろう?



って思うのです。

因果応報が可能なら

個人対個人だった問題が

周辺親族の問題になり

恨みが膨らみ大きくなると

国家間での因果応報も行なわれてしまうことも
あるんじゃないかな。


アメリカの911テロをきっかけにイラク戦争が
起りました。


この背景には被害者意識を持ったアメリカ国民が
テロを起こした組織、社会まで制裁の対象だと
考えるようになって戦争が自然と支持される
空気になったんだと思うんですね。


それで確たる根拠なしに、テロの報復として国家が国家を
裁き今その結果宗教対立にまで発展して泥沼化しています。


鬱屈したフラストレーションのエネルギーって
すさまじいから、時としてその波の中で
冷静な判断とか、根拠とか、目的などすっ飛んでしまうけど


はたしてそれが良いのかと、


うぅ~ん


もう少し考えないとまだ、結論に至らないな。。。。