人間って神様じゃないから
だれだって不完全に生まれ着いちゃっているものです。


不完全な人間同士が愛し合って、
そしてまた不完全な人間が生まれる。


そういう当たり前のことなのに、

たとえば自分の母親などは
絶対の存在だと幻想を抱いてしまいます。


母親は絶対だから間違わないから、

なにか不出来なことが有るとそれは自分が至らないからだと

考えるようになっちゃうこともあります。


でも、親とて人の子、
悩みもするし間違いもする、
感情で人を支配もしちゃうのです。


子も成長していくと、経験を踏み幾たびか世間から
痛い目にも有って
生きていくことの難しさを知っていきます。


その痛みでふと、

自分の親もまたその痛みを感じ
思い通りにならない現実にいらだっていたんだな~と

人としての気持ちを理解し



親を許して成長していくのだと思います。

しかし、不幸な事にある時点で心を閉ざしてしまうと
この気づきが無く成長してしまいます。


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100727/dms1007271623023-n2.htm
秋葉原の無差別事件の加藤被告の供述を見ますと

彼は言いたいことや伝えたいことをうまく
(表現)することができなかった。

言葉でなく、行動で示して周りに分かってもらおうという考え方でした。


母親からの支配に無力な子供時代に、
自分の考えを述べて理解してもらう事が
かなわなかった事が成人後コミニュケーションの放棄
につながり


切れる



という傍からは理解できない行為につながっていった
のだと思います。


親のせいではない、と言う加藤被告ですが
本当は自分の資質+親のせいで
こういう性格が形成されたのです。


親のせいだけど何時しかその親の置かれた立場なり
その時の苦しみを理解できれば
親を許し自立できたと思うのですが
それがかなわなかったのが不幸でした。


どういう形で爆発するかは色々なのでしょうが
こういうケースは最近まれな事では無いと思います。


自立して親を超えて許していく事の大切さを
感じてしまいます。